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天祖若宮八幡宮|練馬区関町北の神社

天祖若宮八幡宮の概要

天祖若宮八幡宮は、練馬区関町北にある神社です。天祖若宮八幡宮は、天祖神社と若宮八幡宮が昭和49年に合祀して天祖若宮八幡宮となりました。天祖神社は、もと三十番神社と称して、別当本立寺、関村の鎮守でした。明治維新の廃仏毀釈により三十番神社を天祖神社と改称し関村村社となり、明治41年に溜淵の厳島神社を合祀、大正2年に竹下の厳島神社を溜淵厳島神社に合祀しました。一方の若宮八幡宮は武蔵関塞守護神で、当関廃止後に長い年月を経て、天祖神社の境内になたっと言われています。

天祖若宮八幡宮
天祖若宮八幡宮の概要
社号 天祖若宮八幡宮
祭神 大日霎女貴尊(天祖神社)、誉田別尊、仁徳天皇(若宮八幡宮)
合祀 狭依姫命、倉稲魂命(天祖神社)
境内社 厳島神社、稲荷神社、御嶽神社
住所 練馬区関町北3-34-32
備考 関村鎮守、関村村社



天祖若宮八幡宮の縁起

天祖若宮八幡宮は、天祖神社と若宮八幡宮が昭和49年に合祀して天祖若宮八幡宮となりました。天祖神社は、もと三十番神社と称して、別当本立寺、関村の鎮守でした。明治維新の廃仏毀釈により三十番神社を天祖神社と改称し関村村社となり、明治41年に溜淵の厳島神社を合祀、大正2年に竹下の厳島神社を溜淵厳島神社に合祀しました。一方の若宮八幡宮は武蔵関塞守護神で、当関廃止後に長い年月を経て、天祖神社の境内になたっと言われています。

練馬区教育委員会掲示による天祖若宮八幡宮の縁起

若宮八幡宮は、奈良朝時代当地に武蔵関塞が設けられたとき、関塞守護神として奉斎されたと伝えられます。関塞廃止後、長い歳月を経て慶長年間に関村開村のおり村民の氏神となったといいます。
また天祖神社は「新編武蔵風土記稿」開村の条に「三十番神社、村ノ鎮守ナリ本立村持」と記載されているとおり、もとは「番神さま」と呼ばれていましたが、明治維新の神仏分離により天祖神社と改称されました。
昭和49年関村の氏神、若宮八幡宮と天祖神社は合わせて天祖若宮八幡宮と呼ぶことになりました。
御祭神は、
天祖神社は大日霎女貴尊、他に狭依姫命、倉稲魂命を合祀。
若宮八幡宮は誉田別尊、仁徳天皇。
を奉斎しております。例大祭は9月28日です。
天保14年(1843)に造営された現社殿は、明治期に一部改修が行われましたが、昭和48年当時の遺構をのこして改築されました。
参道には二基の石造明神鳥居(明治18年・昭和53年)があり、拝殿前には安政4年(1857)の石燈籠をはじめ手水舎、狛犬記念碑があります。八千平方メートル余の境内は神楽殿、社務所などが整備され四季の緑におおわれています。(練馬区教育委員会掲示より)

「練馬の神社」による天祖若宮八幡宮の縁起

「享保5年 関村明細控帳」に「鎮神番神 壱所本立寺」、「新編武蔵風土記稿」関村の項に「三十番神社、村ノ鎮守ナリ、社地3,000坪」とあり、明治7年(1874)に村社となった。その後、明治41年(1908)に溜淵の厳島神社を合祀し、大正2年(1913)には竹下の厳島神社(先に稲荷神社を合祀)を合祀する。(この竹下の厳島神社と稲荷神社が現在の竹下稲荷神社である。)昭和49年には更に若宮八幡宮(仁徳天皇)も合祀して、社名を天祖若宮八幡宮と改称した。因みに若宮八幡宮は武蔵関塞守守護神で、当関廃止の後、長い歳月を経て関村村民の氏神になり、明治維新後、天祖神社の境内になったのだと言われる。現在の社殿は藁葺屋根を明治になってトタン屋根としたものである。本殿は元竹下厳島神社拝殿を大正2年に移転修築して覆殿を新設、同時に幣殿を新築、天保14年建築の拝殿は一部模様替えをした。昭和49年に社殿を改修、55年には神楽殿を造営した。 境内石造物で古いのは、天保14年(1843)の水盤と安政4年(1857)の燈籠である。また御嶽山大々神楽奉納記念碑(明治29年)、神楽殿落成記念碑(昭和55年)がある。 境内樹木は根回り2.1mのものをはじめとしてアカマツの大樹が多いが、当社の森の大部分はヒノキの樹林で覆われている。また長い参道にはケヤキ・モミジ・クロマツが並木をつくっている。(「練馬の神社」より)


天祖若宮八幡宮の周辺図


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参考資料
  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)



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