石神井台氷川神社|練馬区石神井台の神社

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石神井台氷川神社|石神井城鎮守として豊島氏が創建、石神井郷総鎮守、旧郷社

石神井台氷川神社の概要

石神井台氷川神社は、練馬区石神井台にある氷川神社です。氷川神社は、応永年間(1394-1428)豊島氏が武蔵国一ノ宮の氷川神社を石神井城内に勧請して創建されました。豊島氏没落後は、当地に遷座し石神井郷(谷原、田中、上石神井、下石神井、関の5ヶ村)総鎮守として祀られ、明治7年には郷社に列格していました。

石神井台氷川神社
石神井台氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 須佐之男命
相殿 稲田姫命、大己貴命
境内社 榛名・浅間・御嶽・阿夫利・三峯合殿、北野神社、八幡・御嶽・三島・須賀・稲荷合殿
住所 練馬区石神井台1-18-24
備考 石神井郷総鎮守、旧郷社



石神井台氷川神社の由緒

氷川神社は、応永年間(1394-1428)豊島氏が武蔵国一ノ宮の氷川神社を石神井城内に勧請して創建されました。豊島氏没落後は、当地に遷座し石神井郷(谷原、田中、上石神井、下石神井、関の5ヶ村)総鎮守として祀られ、明治7年には郷社に列格していました。

「練馬の神社」による石神井台氷川神社の由緒

「新編武蔵風土記稿」上石神井村の項に「氷川社 上下石神井関田中谷原五ヶ村ノ鎮守ナリ。例祭9月20日。三宝寺ノ持。末社、天神、弁天、天王、第六天、稲荷」とある。「北豊島郡神社誌」には「由緒、往昔豊島氏が当国ノ一ノ宮、石神井台氷川神社ノ御分霊ヲ守護神トシテ場内に鎮斎セシヲ同氏没落後土着ノ住民之ヲ鎮守ト仰ギ尊崇セシモノナルベシ。当社創立ノ際ハ城中ノ何処ニカ鎮座セシヲ、豊島氏没落後現在ノ位置ニ遷シ、石神井郷総鎮守トシテ...石神井郷ハ谷原、田中、上石神井、下石神井、関ノ五ヶ村。維新ノ際、当社ハ大字上石神井下石神井ノ鎮守ト定ムルニ至レリ。明治5年11月村社ニ被定、同7年4月郷社ニ列セラル」と記されている。創建は応永年間(1394-1428)とされる(東京府志料)。(以下省略)(「練馬の神社」より)

「東京都神社名鑑」による石神井台氷川神社の由緒

本社は石神井郷の総鎮守にして、谷原、田中、上石神井、関、下石神井の五ヵ村より篤い崇敬をうつけできたのみならず、今日なお一般に「石神井の氷川さま」と尊称され、その御神徳をますます発揚している。本社が石神井郷の総鎮守であったことは、『新編武蔵国風土記稿』『江戸名所図会』等の諸誌に明記されているところであるが、現存の御手洗鉢に、「石神井郷鎮守社」と銘刻がのこされているのはそのたしかな証拠であろう。社伝によれば、本社は応永年間(一三五四-一四二八)豊嶋氏が、大宮の武蔵国一ノ宮の氷川神社の御分霊を石神井城内に奉斎したのにはじまるという。しかして、文明九年(一四七七)四月十八日、石神井城が太田道灌によって攻略され廃城となるや、本社は里人の鎮守神と仰がれ、今日におよんでいるのである。御鎮座以来、諸人から厚く尊信されてきたが、ことに豊嶋一族の待遇は格別であったようで、現に本殿の左右にたっている石燈龍一対のごときは、当城歿落後とはいえ、豊嶋氏の子孫、泰盈・泰音によって奉納せられたもので、豊嶋氏が本社崇敬の篤かったことを物語っている。本社は本殿・幣殿・拝殿・神楽殿・神饌所・水舎・社務所・玉垣等が完備されており、社殿は文政年間(一八一八-三〇)にたてられたものと推測される。(「東京都神社名鑑」により)


石神井台氷川神社所蔵の文化財

  • 豊島氏奉納の石燈籠(練馬区指定文化財)
  • 石神井台氷川神社の水盤(練馬区登録文化財)

石神井台氷川神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」