和田稲荷神社|旧和田地区の鎮守、伝五郎稲荷
和田稲荷神社の概要
和田稲荷神社は、練馬区石神井町にある稲荷神社です。和田稲荷神社の創立年代等は不詳ながら、江戸期には旧和田地区の鎮守として祀られ、伝五郎稲荷、和田稲荷と呼ばれています。
社号 | 和田稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
境内社 | 荷田神社(荷田東麿) |
相殿 | - |
住所 | 練馬区石神井町1-21 |
備考 | 伝五郎稲荷、和田稲荷 |
和田稲荷神社の由緒
和田稲荷神社の創立年代等は不詳ながら、江戸期には旧和田地区の鎮守として祀られ、伝五郎稲荷、和田稲荷と呼ばれています。
「練馬の神社」による和田稲荷神社の由緒
創立年代不詳。「地誌調写置」下石神井村の項に、「御除地、稲荷宮半左衛門持」とある。この稲荷宮が当社であると思われる。しかし昭和7年(1932)建立の神社名碑は「渡辺伝五郎翁が伏見の里から遷し祀りしと伝う」と記している。この渡辺伝五郎は半左衛門の子孫であると記している(東京都神社名鑑)。
昔は伝五郎稲荷として知られ、旧字和田地区の鎮守であった。「北豊島郡誌」に「由緒、社記ニ京都伏見稲荷ノ分社ナル由伝フ。」「氏子石神井村大字下石神井和田全部、300戸」とある。明治以後は石神井台氷川神社の祠掌するところとなった。(以下省略)(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による和田稲荷神社の由緒
年代不詳。『日枝神社明細帖』によれば、「無格社稲荷神社祭神稲蒼魂命鎮座の原由等不詳、従前奉仕神官なし、明治七年四月氷川神社祠掌兼務被仰付、境内地二百坪、社殿三坪」とあり、土地の長老豊田平次郎保存『村方明細帖写』に、名主が宝暦三年(一七五三)四月代官所小野佐大夫および辻源五郎宛に届出たもので、延宝二甲寅歳(一六七四)中川八郎右衛門・関口治左衛門の縄打により出した村内、田畑・山林の地積・収穫石数・水利・道程・社寺持等の詳細を個条書とし、その末尾に「右は村中明細致差上申候間、書面の通り少々も相違無之候」とあり、そのうち当村寺ニヵ所社地五ヵ所除地の項があり、その四番目宮地壱反六歩、稲荷社、半左衛門持とあるが、これに該当するものとして、明治十三年『日枝神社組合明細帖』には境内官有地二百坪として届出、当時その書面に総代として捺印している渡辺伝五郎は、半左衛門の子孫である。(「東京都神社名鑑」より)
和田稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」