稲荷諏訪合神社|練馬区石神井町の神社

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稲荷諏訪合神社|練馬区石神井町の神社

稲荷諏訪合神社の概要

稲荷諏訪合神社は、練馬区石神井町にある神社です。稲荷諏訪合神社は、創立年代不詳ですが、新編武蔵風土記稿に「諏訪社、禅定院持」と記載されております。明治維新後稲荷社と合祀して、稲荷諏訪合神社と改称しました。

稲荷諏訪合神社
稲荷諏訪合神社の概要
社号 稲荷諏訪合神社
祭神 稲倉魂命、建御名方命
境内社 根ヶ原諏訪神社(建御名方命)
相殿 -
住所 練馬区石神井町5-23
備考 -



稲荷諏訪合神社の由緒

稲荷諏訪合神社は、創立年代不詳ですが、新編武蔵風土記稿に「諏訪社、禅定院持」と記載されております。明治維新後稲荷社と合祀して、稲荷諏訪合神社と改称しました。

「練馬の神社」による稲荷諏訪合神社の由緒

由緒不詳。「新編武蔵風土記稿」下石神井村の項に、「諏訪社、禅定院持。稲荷社3。1ハ道場寺、1ハ禅定院、1ハ村民の持」とあり、このうちの諏訪神社が稲荷社3のうちの1社と合祀して、稲荷諏訪合神社と改めたという。明治維新後のことである。
社殿は、昭和54年に火災の難にあい、55年鉄筋コンクリート造に改築した。境内石造物では、燈籠と鳥居(大正11年)が古い。社殿改築記念碑(昭和32年)、玉垣工事寄付者御芳名碑(昭和39年)、社殿改築記念碑(昭和55年)、社務所新築記念碑(昭和58年)がある。境内樹木に太幹のスダジイがある。(「練馬の神社」より)

「東京都神社名鑑」による稲荷諏訪合神社の由緒

『日枝神社組合明細帖』によれば、武蔵国北豊島郡下石神井村鎮座、無格社稲荷諏訪神社の原由・年月日等不詳。『新編武蔵国風土記稿』によれば、諏訪神社禅定院持一、稲荷社三、(一は道場寺、一は禅定院院、一は村民持)とあり、其のうち一社が前記諏訪神社を合祀して稲荷諏訪合神社と改めた。『東京府村誌』によれば、「稲荷諏訪合神社、村西にあり、社地東西十二間、南北十五間、面積一八〇坪、創建不詳」 とある。当神社に関しては、明治以前稲荷社の管理者であった道場寺が数度の火災により、その記録を焼失したので、調査困難であったが、下石神井ニ丁目居住の最長老である豊田平次郎の記憶により、すなわち同社は昔道場寺が鬼門除けのため建立したものの由、往年古老より聞伝えたと。
同老が数十年前旧名主より借用して写しとったという記録『武蔵国豊島郡下石神井村村方明細帖』によると、延宝二申寅歳(一六七四)中川八郎右衛門・関口治左衛門の縄打により算出せる田畑・山林の地積明細・収穫石数・水利・道程・社寺持地所の詳細等を明記してあり、これを精査したところ、宮地六畝歩、稲荷社、道場寺持の一項あり、これは代官の命令により村内各般の事項届出たる写本の末尾には、右は「村中明細致差上申候間、書面の通り少々も相違無之候、宝暦三年(一七五三)四月小野左太夫様・辻源五郎様」とあり、明治維新後社地は上地され官有地として今日に至ったもので、なおその後、付近所在の諏訪社(東南約一丁)を合祀して、稲荷諏訪合神社と改めた。(「東京都神社名鑑」より)


稲荷諏訪合神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」