禅定院|練馬区石神井町にある真言宗智山派寺院

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照光山禅定院|御府内八十八ヶ所、豊島八十八ヶ所、豊島小学校開校地

禅定院の概要

真言宗智山派寺院の禅定院は、照光山無量寺と号し、約600年前に願行上人が草創したと伝えられるといいます。御府内八十八ヶ所霊場70番札所、豊島八十八ヶ所霊場70番札所です。また、明治7年(1874)には、当地に区内初の公立小学校として豊島小学校が開校しました。

禅定院
禅定院の概要
山号 照光山
院号 禅定院
寺号 無量寺
住所 練馬区石神井町5-19-10
本尊 阿弥陀如来
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場70番札所、豊島八十八ヶ所霊場70番札所



禅定院の縁起

禅定院は、約600年前に願行上人が草創したと伝えられるといいます。また、明治7年(1874)には、当地に区内初の公立小学校として豊島小学校が開校しました。

練馬区教育委員会掲示による禅定院の縁起

禅定院は、照光山無量寺といい、真言宗智山派(豊島八十八ヶ所霊場第70番札所)のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。 「新編武蔵風土記稿」によれば、今から約600年前、願行上人によって開かれたお寺であると伝えます。文政年間(1818-30)の火災で、建物・記録などことごとく焼失しましたが、境内にある応安、至徳(南北朝時代)年号の板碑によっても創建の古さをうかがうことができます。 門前の堂宇に安置された六地蔵や鐘楼前の大宝篋印塔は石神井村の光明真言講中によって造立されたものです。 本堂前の寛文13年(1673)と刻まれた織部灯籠(区登録文化財)はその像容から別名キリシタン灯籠といわれ、区内でも珍しい石造物の一つに数えられています。墓地入口にいぼの治癒に霊験のあるいぼとり地蔵や、墓地内に寺子屋師匠の菩提を弔った筆子塚があります。 また現在の石神井小学校の前身である豊島小学校は、明治7年(1874)区内初の公立小学校としてここに創立され、以来三十余年子弟の教育の場でした。(練馬区教育委員会掲示より)

「練馬の寺院」による禅定院の縁起

禅定院
『新編武蔵風土記稿』に「禅定院。新義真言宗。上石神井村三宝寺寺ノ末。照光山ト号ス。願行上人ノ開キシ寺二テ本寺ヨリハ古跡ナリト云。本尊不動。側ニ閻魔ヲ安ス。是ハ元ハ別堂ニアリ。境内二明応四年二月八日妙慶禅尼ト彫ル古碑アリ。鐘楼。元禄十六年ノ鐘ヲ掛。……。」とある。境内に現存する「至徳(南北朝時代)」などの板碑によっても、その創建年代を知ることができる。
文政年間(一八一八-三〇)に火災に遇い、堂字、文献ことごとく焼失し、天保四年(一八三三)に本堂再建、同七年(一八三六)に鐘楼、山門等を再建した。当時の山門は今でも残っているが、現在の本堂等は昭和五十三年(一九七八)に完成したものである。
なお本寺は、本区で最初の公立校第三中学区第五番小学豊島学校〔明治七年(一八七四)石神井小学校の前身〕が開校した所である。
境内に寛文十三年(一六七三)のキリシタン燈籠(織部燈籠)といわれる石造物や、俗に「いぼ地蔵」と呼ばれる石造物、筆子塚などがある。(「練馬の寺院」より)


禅定院所蔵の文化財

  • 橘絞椿几帳柄鏡
  • 石幢六面六地蔵
  • 織部燈籠

禅定院の周辺図

参考資料

  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)