堤稲荷神社|小榑村小名四面塔稲荷
堤稲荷神社の概要
堤稲荷神社は、練馬区西大泉にある稲荷神社です。堤稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期頃から祀られていたと伝えられ、当地周辺が小榑村小名堤、或いは小榑村小名四面塔と呼ばれていたことから堤稲荷、或いは四面塔稲荷と呼ばれているといいます。
社号 | 堤稲荷神社 |
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祭神 | 宇賀御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 御嶽神社 |
祭日 | 例大祭二月初午日 |
住所 | 練馬区西大泉5-1 |
備考 | - |
堤稲荷神社の由緒
堤稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期頃から祀られていたと伝えられ、当地周辺が小榑村小名堤、或いは小榑村小名四面塔と呼ばれていたことから堤稲荷、或いは四面塔稲荷と呼ばれているといいます。
練馬区教育委員会掲示による堤稲荷神社の由緒
宇賀之御魂命を祭神とする社です。江戸時代のこの辺りの地名「堤村」から「堤稲荷神社」また、かつてこの付近にあった四面の題目塔(石造物)から「四面塔稲荷」とも呼ばれています。
『新編武蔵風土記稿』には、「小名堤村ニアリ。鎮座ノ初詳ナラズ。九尺二一間許ノ小祠。前二鳥居アリ。村内円福寺(現大乗院・西大泉五)ノ持」と記されています。創建は明らかではありませんが江戸時代から地域の人々の信仰を集めていたことがわかります。
拝殿奥の覆屋内に建てられている本殿は平成九年三月「西大泉の稲荷神社本殿」として練馬区有形文化財に登録されました。
棟札には元治二年(一八六五)銘があり、江戸時代末に建てられたことが判ります。一間社、流造り、銅板葺きの小祠で、彫刻が随所に施されています。渦巻き紋様の大きさなどに当時の建築の特徴が見られます。(練馬区教育委員会掲示より)
「練馬の神社」による堤稲荷神社の由緒
『新編武蔵風土記稿』の小榑村の項に「稲荷社 小名堤村ニアリ。鎮座ノ初詳ナラズ。九尺二一間許ノ小祠。前二鳥居アリ。村内円福寺(現大乗院のこと)ノ持。」とあるが「堤四十軒持」とも言われ江戸初期からあったと伝えられている。
当時、この地域の部落ごとにあった稲荷神社は、明治の神仏分離で六社が近くの諏訪神社に合祀されたが、当地(堤)の氏子は合祀を拒み現地に残された。
社殿は拝殿、幣殿、本殿から成り、本殿の棟札に元治二年(一八六五)の銘がある。大正八年(一九一九)九月から同一四年(一九二五)一二月にかけて増改築され、その社殿改築記念碑(大正一五年)が境内に建っている。昭和五六年(一九八一)、境内地脇を道路拡張に伴って提供し、玉垣を新設している。境内入口の鳥居は明治四一年(一九〇八)の建立、参道の狐の狛犬は台に明治□丑年の陰刻、燈籠の台石も同じ石工の製作で氏子堤組奉納とある。『北豊島郡神社誌』には「大正四年(一九一五)十一月御大典記念トシテ石燈籠一対ヲ建設セリ」と記す。現在の狛犬と春日燈籠は、破損により最近造られたものである。
境内地は往時、年数を経た杉の老大樹で覆われていたと古老は言う。現在はシラカシの大樹が当時を偲ばせる。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による堤稲荷神社の由緒
年代不詳。『新編武蔵国風土記稿』によれば、「稲荷社、小名堤村にあり、鎮座の初詳ならず、九尺に一間許の小祠、前に鳥居あり、円福寺持なり」 とあり、現在も鎮座地の字名を北堤という。大正八年九月拝殿・幣殿・本殿等の改築を着手し、同十四年十二月竣工する。(「東京都神社名鑑」より)
堤稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」