諏訪神社|小榑村の鎮守三十番神
諏訪神社の概要
諏訪神社は、練馬区西大泉にある諏訪神社です。諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、本照寺の北側に三十番神として勧請されたことから、本照寺の開基天正10年(1582)前後と推測されます。明治時代の神仏分離令により、信州諏訪神社から建御名方命を勧請して、諏訪神社と改称、村内の稲荷神社を合祀しました。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
境内社 | 稲荷神社、御嶽神社 |
相殿 | - |
住所 | 練馬区西大泉3-13 |
備考 | 小榑村村社 |
諏訪神社の由緒
諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、本照寺の北側に三十番神として勧請されたことから、本照寺の開基天正10年(1582)前後と推測されます。明治時代の神仏分離令により、信州諏訪神社から建御名方命を勧請して、諏訪神社と改称、村内の稲荷神社を合祀しました。
練馬区教育委員会掲示による諏訪神社の由緒
本社の創建は詳らかではありませんが、江戸時代の「新編武蔵風土記稿」には、小榑村の鎮守三十番神と記されています。もと本照寺の直ぐ北側にありましたが、明治末頃現在地に移りました。
明治の神仏分離の際に、信州諏訪神社から祭神建御名方命を勧請して社名も諏訪神社と改めました。現在でも古い土地の人々は「番神さま」と呼び親しんでいます。社殿には三十体の神像が安置されています。
また、境内には稲荷神社があり、宇迦御魂命が祀られています。この社は神仏分離のとき村内に散在する無格の稲荷神社を合祀したものです。
拝殿には二十枚余りの絵馬が奉納されていますが、中でも「狐の大根取り入れの」絵馬は、稲荷様の眷属である狐を擬人化した独特な画柄です。
数多くの樹木は昔の面影をよく残しています。(練馬区教育委員会掲示より)
「練馬の神社」による諏訪神社の由緒
「新編武蔵風土記稿」の小榑村の項に「三十番神社、村ノ鎮守ナリ。小名中島ニアリ。本照寺ノ背後ニアレリ。」とある。古来三十番神といわれてきた。明治の神仏分離の際、三十番神の中の諏訪神を祭神とし、信州諏訪建御名方命を祀った。「新座郡誌」小榑村の項に「諏訪社、村社社地東西12間南北3間面積527坪の北方にあり建御名方命を祀る。祭日4月4日社地中松老樹あり」、「北豊島郡誌」大泉村の項に「村社諏訪神社、社は清戸道の北にあり一抹の緑樹小丘に掩ふて立つところ」と記され、今日も緑樹が境内を深く覆って神社の森を形成している。なお明治44年には近在の8つの稲荷神社(経塚・榎戸・西中前新田・前新田・大前新田・中島俊・水入久保上・西前田)を移転合祀して、村社諏訪神社としている。
境内石造物で古いのは安政4丁巳(1857)銘の水盤。長い参道には3つの鳥居を配し、脇に大正4年の社殿改築記念碑がある。水屋・神楽殿は昭和46年、太鼓庫屋は昭和59年の建築である。
なお、境内社の稲荷神社は、諏訪神社とは別に2つの鳥居を配し、境内の中でも格別の扱いがされている。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による諏訪神社の由緒
創立年月日不詳。『新編武蔵国風土記稿』によれば、「三十番神社、村の鎮守なり、小名中嶋にあり、本照寺の背後に当れり」が、本社の意。『北豊島総覧』には村社諏訪神社、大字小榑にあって同村の鎮守、祭神は建御名方命を肥る。大祭は三月二十八日、今の社殿は明治四十四年五月六日付許可を以って、同所、二千三十番地より村社諏訪神社を其他村内に散在せる無格稲荷社八社を現番地に移転合祀して、村社諏訪神社とせしものなり。現社殿は、大正二年十月に落成する。西大泉町旧称小榑村に明治三年十月品川県、同六年六月入間県、同八年十二月熊谷県と転々変遷、同二十三年町村制施行に際し橋戸・小榑両村を合して榑橋村と称し、同二十四年東京府管理に移る」といった次第であって、傍証となるべき旧記録の保存がない。(「東京都神社名鑑」より)
諏訪神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)