大明山光伝寺|豊島八十八ヶ所霊場
光伝寺の概要
真言宗豊山派寺院の光伝寺は、大明山無量院光伝寺と号します。光伝寺の創建年代等は不詳ながら、当初浄土宗寺院として創建、江戸時代に法印権大僧都公恵が真言宗に改めたといいます。豊島八十八ヶ所霊場10番札所です。
山号 | 大明山 |
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院号 | 無量院 |
寺号 | 光伝寺 |
住所 | 練馬区氷川台3-24-4 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 豊島八十八ヶ所霊場10番札所 |
光伝寺の縁起
光伝寺の創建年代等は不詳ながら、当初浄土宗寺院として創建、江戸時代に法印権大僧都公恵が真言宗に改めたといいます。
「練馬の寺院」による光伝寺の縁起
「新編武蔵風土記稿」に「光伝寺 大明山無量院ト号ス。本尊不動。法流開山教恵。宝暦10年12月12日化ス。」とある。
「光伝寺由緒沿革」によると、「始め浄土宗の寺院なりしが、江戸時代真言宗全盛時に本宗に転じたるものと伝う。第1世は、法印権大僧都公恵と謂う。爾来相伝えて第27世に及ぶ、第6世教慧の時、金乗院慧龍より憲深方の法流を伝えて同寺の末寺となる。第18世教海は、高井戸村の出身にて護法の志厚く利生の念深く私財を投じて、正久保橋(旧弥右衛門橋)の腐食し易き木橋たりしを江戸日本橋より六兵衛・八兵衛なる二人の石工を呼び永久的の石橋に替えて衆人を利せり。」と。
旧橋(正久保橋)の橋柱石(高さ53センチ)は、今も同寺の境内に保存され、教海の功績を伝えている。
現在、境内の建物として、山門、本堂、庫裡、鐘楼、閻魔堂、観音堂がある。
昭和14年金乗院末寺を離脱して、奈良の長谷寺を本山とした。(「練馬の寺院」より)
光伝寺の周辺図
参考資料
- 練馬の寺院(練馬区教育委員会)