慈光山阿弥陀寺|品川長徳寺の境外仏堂として創建
阿弥陀寺の概要
阿弥陀寺は、江戸時代頃、品川長徳寺(時宗)の境外仏堂として現在地附近に信徒を集めていたといわれています。
山号 | 慈光山 |
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院号 | - |
寺号 | 阿弥陀寺 |
住所 | 練馬区練馬1-44-10 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
阿弥陀寺の縁起
阿弥陀寺は、江戸時代頃、品川長徳寺(時宗)の境外仏堂として現在地附近に信徒を集めていたといわれています。
「練馬の寺院」による阿弥陀寺の縁起
寺伝によると、江戸時代頃、品川長徳寺(時宗)の境外仏堂として現在地附近に信徒を集めていたといわれる。当寺の「村内古今過去帳」(明治24年改定、岩崎某管理)によると、元禄4年(1691)からの記載があり、江戸末期から明治にかけての記録がこのことを示している。
本尊は阿弥陀如来で、明治の廃仏毀釈の際、近くの練馬白山神社に祀られていた観音菩薩(青銅製)を脇侍仏とした。なお境内には、享保14年(1729)の銘のあつ地蔵尊があるが、古くから「日限地蔵」といわれ、眼病の治癒に霊験があり、現在もなお、信仰者が多い。寺宝として、文化元年(1804)制作で形態が江戸時代末期の特色を示す半鐘や公安4年(1281)の銘のある「阿弥陀一尊種子板碑」がある。
寺紋「すみきり三」(時宗の紋)は、四国伊予河野家の紋で、時宗の開祖一遍上人が、河野家の出で(河野通有の叔父にあたる)あるところから、この紋を使用している。(「練馬の寺院」より)
阿弥陀寺所蔵の文化財
- 阿弥陀寺の半鐘
- 阿弥陀寺の伏せ鐘
阿弥陀寺の周辺図
参考資料
- 練馬の寺院(練馬区教育委員会)