恭敬山長徳寺|品川区南品川にある時宗寺院
長徳寺の概要
時宗寺院の長徳寺は、恭敬山と号します。長徳寺は、三寮覺阿弥陀佛が開山となり現東海寺の地に寛正4年(1463)創建、東海寺建立に伴い当地へ移転したといいます。江戸時代には下蛇窪(品川区二葉附近)に寺領5石の御朱印状を与えられた御朱印寺でした。当寺の閻魔堂は、南品川にあった東光寺という時宗寺院があったものの、大龍寺に譲ることになり、その堂宇を移したものだといいます。
山号 | 恭敬山 |
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院号 | - |
寺号 | 長徳寺 |
住所 | 品川区南品川2-8-16 |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長徳寺の縁起
長徳寺は、三寮覺阿弥陀佛が開山となり現東海寺の地に寛正4年(1463)創建、東海寺建立に伴い当地へ移転したといいます。江戸時代には下蛇窪(品川区二葉附近)に寺領5石の御朱印状を与えられた御朱印寺でした。当寺の閻魔堂は、南品川にあった東光寺という時宗寺院があったものの、大龍寺に譲ることになり、その堂宇を移したものだといいます。
新編武蔵風土記稿による長徳寺の縁起
(南品川宿)長徳寺
除地七畝年貢地六段七畝二十五歩、常行寺の南隣なり、恭敬山と號す、時宗藤澤清浄光寺末、天正十九年寺領五石の御朱印を賜はる、其地郡中下蛇窪村にあり、開山三寮覺阿弥陀佛寛正四年起立す、忌日は十二月二十九日年歴を失ふ、本尊弥陀立像長三尺客殿六間に五間半、當寺昔は小名山岸(今東海寺本堂の所と云)にありしが、寛永十四年東海寺御建立の時御用地となり、枝郷三つ木にて替地を賜れり、今の寺地は末寺常光寺の廃跡なり、便に従て此地に移ると云。
閻魔堂。客殿の並にあり、三間四方閻魔は運慶の作と云、昔南馬場町東光寺に安せり、彼寺地を大龍寺に譲りし時、當寺東光寺の本堂なるが故に此堂を爰に移すと云。
門前町屋。間口十間歩数三十七、延享三年町方の支配となる。(新編武蔵風土記稿より)
「品川区の文化財」による長徳寺の縁起
昔は北品川小名山岸(旧東海寺本堂の所と云)にあった。天正19年徳川家康より朱印5石の地を下蛇窪村(二葉町)に賜った。寛永14年(1637)東海寺建立にあたって御用地となり、枝郷三ッ木(西品川)に賜ったが、不都合なので、末寺常行寺廃跡に移った。これが現在地である。家康以来歴代将軍の朱印状を所像している。
閻魔堂は昔馬場東光寺にあったものを、当地を大龍寺に譲ったときに此処へ移したものである。(「品川区の文化財」より)
長徳寺の周辺図