雲照山十善戒寺|雲照律師が目白僧園として明治19年設立
十善戒寺の概要
真言宗東寺派寺院の十善戒寺は、雲照山吉祥院と号します。十善戒寺は、近衛篤麿等の要請によって東寺から上京した雲照律師が明治19年(1886)高田老松町建立した目白僧園を起源とするといいます。第二世松田密信が目白僧園を吉祥院と改称して寺院登録の上、昭和18年当地へ移転、昭和27年十善戒寺と改称したといいます。
山号 | 雲照山 |
---|---|
院号 | 吉祥院 |
寺号 | 十善戒寺 |
住所 | 練馬区南田中5-20-2 |
宗派 | 真言宗東寺派 |
本尊 | 不動明王 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 石神井保育園 |
十善戒寺の縁起
十善戒寺は、近衛篤麿等の要請によって東寺から上京した雲照律師が明治19年(1886)高田老松町建立した目白僧園を起源とするといいます。第二世松田密信が目白僧園を吉祥院と改称して寺院登録の上、昭和18年当地へ移転、昭和27年十善戒寺と改称したといいます。
「練馬の寺院」による十善戒寺の縁起
雲照律師は島根の人、近衛篤麿等の要請によって京都の東寺から上京、明治十九年 (一八八六) 高田老松町に僧のための目白僧園を建てた。弘法大師の綜芸種智院にならって仏教精神に基づく庶民学校をつくり、十善徳教学校とする予定であったが、朝鮮や満洲に布教し、明治三十年 (一八九七) には西那須野に雲照律寺を興すなど、多忙を極めて学校を開くに至らなかった。明治二十七年頃は目白僧園を雲照寺と呼んでいる。
第二世松田密信は、目白僧園を吉祥院として正規に寺院の登録をし、昭和十八年 (一九四三) この地に移転した。第三世密玄は昭和二十三年 (一九四八) 石神井保育園を開設、昭和二十七年 (一九五二) 十善戒寺と寺名を変更。十善徳教の精神を受け継いでいる。
本尊不動明王は脇侍と共に成田山新勝寺から雲照律師に贈られた。
慈母観音は金銅造りで奈良期以前の作とも見られるがはっきりしたことは分からない。境内には雲照律師の髪塔や句碑などがある。
本堂(草葺屋根に銅板をかぶせている)、土蔵、長屋門は幕末から明治期の建築である。(「練馬の寺院」より)
十善戒寺の周辺図
参考資料
- 練馬の寺院(練馬区教育委員会)