勝海舟夫妻の墓|大田区南千束の名所旧跡

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勝海舟夫妻の墓|遺言により勝海舟夫妻が眠る地

勝海舟夫妻の墓の概要

勝海舟夫妻の墓は、大田区南千束にある名所史跡です。勝海舟は、別邸洗足軒を当地に設けるなど、風光明媚な当地を愛していたことから、遺言により明治32年(1899)当地に葬られたといいます。

勝海舟夫妻の墓
勝海舟夫妻の墓の概要
名称 洗足池公園
みどころ 史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 大田区南千束2-3洗足池公園
備考 -



勝海舟夫妻の墓について

勝海舟は、別邸洗足軒を当地に設けるなど、風光明媚な当地を愛していたことから、遺言により明治32年(1899)当地に葬られたといいます。隣地には、勝海舟の遺言により留魂祠(西郷隆盛碑)が葛飾四ツ木より移されています。

大田区掲示による勝海舟夫妻の墓について

勝海舟、諱は義邦、初め麟太郎、後に安房または、安芳と改め、海舟と号した。文政六年(一八二三)江戸に生れる。幕臣として万延元年(一八六〇)咸臨丸で渡米、海軍奉行となり明治元年(一八六八)江戸開城に尽力する。
維新後は海軍卿、伯爵、枢密顧問官などを歴任し、漢詩、書を好み、高橋泥舟・山岡鉄舟とともに幕末三舟と称せられた。
洗足池やその周辺の風光を愛し、明治三十二年(一八九九)没後遺言によりこの地に葬られた。
別荘洗足軒(現在は大森六中)で次の歌をよまれた
千束村の別墅に
楓樹数株を植ゑて
うゑをかば よしや人こそ 訪はずとも
秋はにしきを 織りいだすらむ
染めいづる 此の山かげの 紅葉は
残す心の にしきとも見よ(飛川歌集より)
(大田区教育委員会掲示より)


勝海舟夫妻の墓の周辺図


参考資料