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密厳院|大田区大森北にある真言宗智山派寺院

密厳院の概要

真言宗智山派寺院の密厳院は、八幡山祈念寺と号し、文安5年(1448)に法印雲誉が創建したといわれています。もと磐井神社の別当寺です。玉川八十八ヶ所霊場76番札所です。

密厳院
密厳院の概要
山号 八幡山
院号 密厳院
寺号 祈念寺
住所 大田区大森北3-5-4
本尊 不動明王
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 密厳院会館で宗旨宗派を問わず葬儀利用可能
備考 もと磐井神社の別当、玉川八十八ヶ所霊場76番札所



密厳院の縁起

密厳院は、文安5年(1448)に法印雲誉が創建したといわれています。もと磐井神社の別当寺です。

「大田区の寺院」による密厳院の縁起

寺伝によれば、開創は文安5年(1448)といわれている。「新編武蔵風土記稿」には、新義真言宗、山城国醍醐三宝院の末で、開山は運誉、時代はわからない。11世栄定は永禄10年(1567)になくなった。伝えによれば当寺は、昔から磐井神社の別当をしていて、神主より古いという。開闢の古さを考えると、そうであったろうか。また昔は今の新井宿村の境、鷲宮の辺が当寺の大門の跡で、そこに今も祈念塚という塚がある。これもその頃は境内地であったからその名が残った。このような大寺だったが、いつの頃か火災にあって、境内が狭くなったというとある。(「大田区の寺院」より)

新編武蔵風土記稿による密厳院の縁起

(不入斗村磐井神社)別當密嚴院。
境内除地二段五畝十八歩、社地の背後の方耕地をへだてゝありこの所も昔は社地の内なりといふ、新義眞言宗、山城國醍醐三寶院の末、八幡山祈念寺と號す、開山は法印運譽時代詳ならず、第十一世中興開山法印榮定永禄十年寂す、相傳ふ當寺は往古より磐井神社の別當職たること神主よりふるしと、開闢の年代のふるきを以考ふるに、さもありしにや、又云、古は境内も廣くして、今の新井宿村の境鷲宮の邊、當寺大門の跡なりと云、同所原野の中に今も祈念塚といふ塚あり、これもそのかみ境内の地なりし故にその名殘れりとぞ、かゝる大寺なりしかど、いつの頃にか回禄にあひてより、その地せばまりしといふk、本堂八間に六間、本尊不動を安ず、
閻魔堂。本堂に向ひて左にあり、二間四方、
稲荷社。庫裏の東南にあたれり、社二間四方、もとの呉服師後藤源太郎が江戸の屋鋪にありしを、近きころ故あつてこゝにうつせり、
地蔵堂。境内東の方裏門の傍にあり、堂は二間四方にして、石の地蔵六尺ばかりなるを安ず、土俗これを於七地蔵と呼べり、こは天和年中江戸本郷にすみて野菜を賣るものあり、その女年十七歳にして火罪に行はれたり、時人これをあはれみてその冥福のため建立する所なりと云、於七とは彼が名なり、(新編武蔵風土記稿より)


いいお墓

密厳院所蔵の文化財

  • 庚申供養塔(大田区指定有形民俗文化財)
  • 地蔵菩薩立像(俗称お七地蔵)(大田区指定史跡)

密厳院の周辺図