烏山神社|旧称白山神社、旧村社
烏山神社の概要
烏山神社は、世田谷区南烏山にある神社です。烏山神社の創建年代は不詳ですが、かつて当地にあった泉澤寺が延徳3年(1491)創建であることから古くより拓けていたことが窺え、当社の創建も古く遡ることと推定できます。江戸時代には烏山村の鎮守社だったといい、明治6年村社に列格、昭和7年に社名を白山神社から白山御嶽神社へ改称、昭和37年には烏山町内の天神社・神明社・杉田稲荷社を合祀、また志村稲荷社を当地へ遷座したといいます。
社号 | 烏山神社 |
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祭神 | 白山比咩大神・御嶽大神・天照皇大神・倉稲魂命・菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
祭日 | - |
住所 | 世田谷区南烏山2-21-1 |
備考 | - |
烏山神社の由緒
烏山神社の創建年代は不詳ですが、かつて当地にあった泉澤寺が延徳3年(1491)創建であることから古くより拓けていたことが窺え、当社の創建も古く遡ることと推定できます。江戸時代には烏山村の鎮守社だったといい、明治6年村社に列格、昭和7年に社名を白山神社から白山御嶽神社へ改称、昭和37年には烏山町内の天神社・神明社・杉田稲荷社を合祀、また志村稲荷社を当地へ遷座したといいます。
せたがや社寺と史跡による烏山神社の由緒
祭神は白山比咩大神・御嶽大神・天照皇大神・倉稲魂命・菅原道真公、創立および古代の縁由については不詳でみるが、元文元丙辰年九月(1736)吉祥日と記載された手水鉢あり、これより以前であることは推察できよう。それ以後については社史によると、天保3年、大嵐により、社殿大破したため改築、明治6年には村社に列せられて、大正7年現今の社殿が新築された。さらに昭和7年には、社号白山神社を白山御獄神社と改称することになり、昭社29年には、宗教法人法による登記を完了した。次いで昭和37年には町内天神社・神明社・稲荷社を合併して、烏山神社と改称し、 39年に神楽殿を改め新築して今日に至っている。この神社は、古くから村の鎮守として、 旧千歳村の中では最大の氏子数をもち、村の崇敬を集めていた。今日でも、祭儀として、例大祭が9月24日。春祭2月24日。秋祭11月24日。月次祭毎月15日。元旦祭1月1日。初午祭2月初午日。神明祭3月11日。天神祭4月25日とにぎやかに行なわれている。「新編武蔵国風土記稿」によると「除地三段ニ畝ニ歩、小名泉沢寺ノ並ニアリ。村ノ鎮守ナリ。本社六尺四方。南向。拝殿ニ間ニ三間。神体白幣ヲ建ツ。社ノ廻リニ松杉ノ類村立リ。鎮座ノ初ヲ詳ニセズ。上高井戸村医王寺ノ持とある。
なお合記された三社についてであるが、天神社は、祭神は菅原道真公で、烏山町713番地にあったものであり、神明社は、祭神は天照皇大神で鳥山町913番地にあったものである。稲荷社については鳥山町にあった2社(いずれも祭神は倉稲魂命)のうち、杉田一族の稲荷の方が合記された。他に志村稲荷といって、志村一族によって祭られていた穏蒋は、現在鳥山持社の境内におかれている。(せたがや社寺と史跡より)
世田谷区教育委員会掲示による烏山神社の由緒
祭神は白山比咩大神をはじめとする五柱。創立の由来はあきらかではないが境内の手水鉢には元文元年(一七三六)の紀年がある。
白山御嶽神社ととなえていたが、昭和三十七年町内の天神社、神明社、稲荷社を合祀し、烏山神社と改称したものである。このあたりに泉澤寺という寺があったが、天文年中(一五三二〜五五)に橘樹郡(現在の川崎市内)に移され、字名として残っている。(世田谷区教育委員会掲示より)
烏山神社の周辺図