赤堤山善性寺|玉川八十八ヶ所霊場
善性寺の概要
真言宗豊山派寺院の善性寺は、赤堤山と号します。善性寺は、勝国寺第九世住職日宥が良弁僧正作の不動尊像を得て、正徳5年(1715)当地に創建したといいます。玉川八十八ヶ所霊場47番です。
山号 | 赤堤山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 善性寺 |
住所 | 世田谷区豪徳寺1-55-23 |
本尊 | 不動明王像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善性寺の縁起
善性寺は、勝国寺第九世住職日宥が良弁僧正作の不動尊像を得て、正徳5年(1715)当地に赤堤山善性寺と号して創建したといいます。新編武蔵風土記稿に記載はないものの、明和年間(1764-1771)焼失していたためと思われます。
世田谷区寺院台帳による善性寺の縁起
口碑伝云ク、当寺本尊不動者第四十五代聖武天皇天平年間、南都等大事開祖良弁僧正、相模国大山寺ニ於彫刻セシ者ナリト。其後本寺勝国寺第九世住職日宥ナル者、正徳元辛卯年九月比尊像ヲ得テ、則チ当地ニ奇瑞在ルヲ占テ一寺ヲ設ケ正徳五年八月廿八日不動ヲ安置シテ赤堤山善性寺ト名クト云、因是之ヲ草創トス、爾来興廃不常一時ハ属地モ多ク頗大寺ト成タリシガ、明和年中丙丁ノ災ニ罹リ坊舎全ク焼失シ、是ヨリ多ク星霜ヲ経過スルニ随ヒ、漸々小縮□□衰頽シテ現今ノ景況ニ至レリト。(世田谷区寺院台帳より)
せたがや社寺と史跡による善性寺の縁起
世田谷にある青龍山勝国寺の末寺で現在は勝国寺の兼務寺となっている。
本堂には、関東藤沢の里で鷲にさらわれ、奈良東大寺の門前の杉につれさられて有名になった良弁僧正(相模国大山寺の開山でもある)が関東に降ったさいに、この地に立ち寄られ、庵をむすび彫刻したと伝えられる不動明王の像が安置されている。
当寺には版木「不動明王霊像略縁起」(江戸末期の作)が伝えられ、勝国寺で保存している。(せたがや社寺と史跡より)
善性寺の周辺図