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法徳寺|世田谷区瀬田にある浄土宗寺院

法徳寺の概要

浄土宗寺院の法徳寺は、福来山と号します。法徳寺は、瀬田の旧家の祖先である白井法徳が開基、法阿因公和尚が開山となり、永禄元年(1558)創建したといいます。

法徳寺
法徳寺の概要
山号 福来山
院号 -
寺号 法徳寺
本尊 阿弥陀如来
住所 世田谷区瀬田1-7-7
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



法徳寺の縁起

法徳寺は、瀬田の旧家の祖先である白井法徳が開基、法阿因公和尚が開山となり、永禄元年(1558)創建したといいます。

せたがや社寺と史跡による法徳寺の縁起

浄土宗で山号は福来山、芝の西応寺の末寺になっている。
開基は、瀬田の旧家白井法徳で本名は重安、父は白井基経である。基経は足利義明に従っていたが、浪人して父子共に瀬田の地において農民となった。新編武蔵風土記稿によると、同村に首姓十郎右衛門と言うものあり、白井氏なり、是も旧家にて、法徳寺を開基せりとある。白井姓を名乗ったのは、基経からさかのぼって14代の祖先の常安である。
開山は源蓮社宗誉上人法阿釆福因公大和尚で、示寂の年月は不明である。当時芝増上寺には3000人位の学僧がおり、学寮などもあった。宗誉上人はそこから、派遣されてきたものと思われる。
本堂は大正13年に改築されたものを、現在さらに改築したものである。本尊の阿弥陀仏は高さ約35cmの木像であり、徳川時代のものと思われる。風土記稿に記してある観音木像は、たくさんの信者があったが、惜しくも堂もろとも焼失した。
筆塚(明治14年5月半嶺聞書の石の碑)は本堂の前に建てられているが、震災前は旧道にでる坂の上にあった。寺子屋の師匠大塚貞三郎という人のために、門人一同が記念として建てたものである。この塾の場所は瀬田町740番地で、今は天理教瀬田分教場になっている。
現住職が子供の頃、この跡地を土地の人は「お師匠さま」と呼んでいた。門弟は300人といわれ、碑の周囲にきざまれている世話人は用賀17人、吉沢2人、野毛1人、大蔵1人、鎌田1人、新町3人、岡本4人、瀬田32人にのぼっている。
千体地蔵の講中は、もち廻りで念仏講として行なわれていた。明治年間、25世の昭蓮社光誉上人のころさかんに一行なわれた。この地蔵は、現在小石川の福聚院に安置されているそうであ
る。
寺紋は源氏の紋(ささりんどう)である。この辺は多摩川の台地にあり、景勝の地である。(せたがや社寺と史跡より)

世田谷区教育委員会掲示による法徳寺の縁起

福来山法徳寺
本尊、阿弥陀如来
浄土宗に属し、永禄元年(1558)法阿因公和尚によって開山した。開基は、瀬田の旧家の祖先である白井法徳(重安)、父は、基経といった、基経は足利義明の家来であったが、父子で瀬田の地に農民となり、子重安が開いたものである。
境内にある筆塚の碑は明治初期、寺子屋の師、大塚貞三郎のために近在の瀬田、用賀、岡本などの門弟一同がたてた記念碑である。(世田谷区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による法徳寺の縁起

除地、村の東方なり、福来山と号す。浄土宗にて江戸西応寺の末なり。開山源蓮社宗参聖人法阿因公和尚示寂の年月は詳かならず。開基は白心院寶誉法徳と云、此白心院は村民十郎右衛門が先祖なり、去れど事蹟伝へず。
本堂、4間に4間半、戌の方に向ふ、本尊阿弥陀佛を安す。木の坐像にて長1尺許。
観音堂、向て右にあり、2間半四方、本尊木の坐像にて、長2尺56寸。
古碑3基。銅の左の墓所の中に共に圍み、1丈67寸許。(新編武蔵風土記稿より)


法徳寺の周辺図


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