身延山関東別院玉川寺|昭和7年に創建
身延山関東別院玉川寺の概要
日蓮宗寺院の玉川寺は、妙隆山と号し、身延山久遠寺の関東別院です。昭和7年に身延山久遠寺法主望月上人が、日暮里妙隆寺を当地に移転し、改めて身延山関東別院として創建しました。
山号 | 妙隆山 |
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院号 | - |
寺号 | 玉川寺 |
住所 | 世田谷区瀬田4-12-4 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 墓地寿陵受付 |
備考 | 身延山保育園併設 |
身延山関東別院玉川寺の縁起
身延山関東別院玉川寺は、昭和7年に身延山久遠寺法主望月上人が、日暮里妙隆寺を当地に移転し、改めて身延山関東別院として創建しました。
せたがや社寺と史跡による身延山関東別院玉川寺の縁起
玉川寺(身延山関東別院)
身延山関東別院玉川寺は、多摩川の河原と台地の斜面の間にあり、都会では珍しく、数十段の石段の奥に本堂がある。向って左側に基地、経王堂、右側に庫裡と書院、そして一段高いところに、新書院と三段の建物が、多摩川に面してたち眺望のきく位置にある。
本尊開運日連大菩薩、神は経王稲荷大明神、宗派は日蓮宗に属する。
開山は昭和7年甲州身延山久遠寺法主望月上人、関東一円の布教の殿堂として、建立した。当時(昭和初期)は寺社の建立は、ゆるされていなかったので、日暮里の妙隆寺を移転して、新たに身延山関東別院として開山した。昭和15年頃より玉川寺と称するようになった。
第二次大戦後、基地を持つようになり、檀家は関東一円にまたがるという。宝物としては、荘厳具と勅額(立正)がある。(せたがや社寺と史跡より)
新編武蔵風土記稿による妙隆寺の縁起
日暮里にあった妙隆寺は、鎌倉小町村妙隆寺中興日邊が、寛永元年谷中に創建、元禄7年日暮里へ移転したといいます。
法華宗下総国中山法華経寺末、日邊山と号す。本尊三宝を安ず。寛永元年4月相模国鎌倉小町村妙隆寺中興日邊此地に来て草創すと云。或云始の起立は今の地にあらず谷中玉林寺の境内を借地してありしか、元禄7年ここに移転せりと。寛延元年の頃より境内東の方なるに遊歴の人つとひて賞賛し、春の長き日の暮るをも知あさるに至るとて世に日暮の里と号すといへり。されと日暮里は既に「紫一本」にも載て此園開かさる前よりの唱なり。猶村名の條に云り。(新編武蔵風土記稿より)
身延山関東別院玉川寺の周辺図