望湖山玉林寺|台東区谷中にある曹洞宗寺院
玉林寺の概要
曹洞宗寺院の玉林寺は、望湖山と号します。玉林寺は、吉祥寺5世用山元照和尚が開山となり天正19年(1591)に創建、慶安元年(1648)には寺領21石余りの御朱印状を拝領したといいます。
山号 | 望湖山 |
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院号 | - |
寺号 | 玉林寺 |
住所 | 台東区谷中1-7-15 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
玉林寺の縁起
玉林寺は、吉祥寺5世用山元照和尚が開山となり天正19年(1591)に創建、慶安元年(1648)には寺領21石余りの御朱印状を拝領したといいます。
「下谷區史」による玉林寺の縁起
玉林寺(谷中坂町五四番地)
駒込吉祥寺末、望湖山と號す。本尊釋迦如来。天正十九年一月起立、開山は本寺吉祥寺五世用山元照(慶長三年八月二十七日寂)慶安元年七月十七日、幕府より寺領として谷中村の内に於て二十一石八斗餘の朱印地を給せられ、明治五年新政府より上地を命ぜられるまで渝りがなかつた。
寺内に寶篋印塔一基竝に河津三郎祐康の墓及び衣笠南翁、菅野蘭林、井上文雄等の墓がある。是等數基の内河津三郎祐康の墓と稱する一基は何人の何時建立したものであるか明らかでない。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による玉林寺の縁起
駒込吉祥寺末 谷中不唱小名
望湖山玉林寺 玉林寺境内御朱印拝領地11100坪内門前町屋有。
天正19年起立。
開山覚性院日勤、延宝4年9月朔日遷化。
開山用山元照和尚、吉祥寺5世。慶長3年8月27日示寂。
二世中興開山風室興春和尚、慶安3年8月2日示寂。
五世中興劫外恕春和尚、宝永4年5月10日示寂。
御朱印寺領。右は御三代様御朱印慶安元年7月17日拝領仕。御文言左之通。武蔵国豊島郡谷中村玉林寺領同村之内21石8斗余事。任先規寄附之訖、全可収納并中門前山林竹木諸役等免除、如有来永不可有相違者也。慶安元年7月17日。御朱印。
本堂、本尊釈迦如来丈1尺坐像。脇立、文殊菩薩、普賢菩薩、各丈9寸坐像。
宝篋印塔、高さ2丈1尺。
鎮守社9尺四方、拝殿間口2間奥行9尺。
境内借地寺院12軒。本寿寺、瑞松院、臨江寺、延寿寺、妙行寺、妙福寺、長運寺、妙泉寺、仏心寺、永久寺、本通寺、龍谷寺。以上12ヶ寺院別記有之。以上丙戊書上。(御府内寺社備考より)
玉林寺所蔵の文化財
- 紙本着色仏涅槃図(台東区登載文化財)
紙本着色仏涅槃図
釈迦の入滅を描いた図を仏涅槃図といいます。本図は、江戸時代中期の制作。縦304cm、横250cmで、区内に多く現存する仏涅槃図の中でも大きなもののひとつです。 図柄は、中央の宝台上に釈迦が横たわり、その周囲では多くの弟子や鳥獣が嘆き悲しむさまが見えます。上部には月、沙羅双樹の木々、インドの大河跋提河、右上には雲に乗る摩耶夫人とその従者の姿が見えます。
描線は、釈迦の手・足の描写にやや硬さが見られますが、安らかに眠る釈迦の顔、弟子たちの表情や衣装、鳥獣の姿態等、各々個性豊かに描き、彩色は、釈迦の衣は切金や金泥、弟子・鳥獣は金泥・群青・緑青・朱など、多彩な絵具を的確に用いています。
落款がないため、作者は明らかでありませんが、このような変化に富む描写、的確な彩色表現から、高度な絵画技法を身につけた絵師であることをうかがわせています。 本図は、区内現存の仏涅槃図の中でも優品のひとつとして、きわめて貴重です。
玉林寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」