猫の足あとによる品川区・東京都・首都圏の寺院、神社など寺社案内

猫の足あとによる東京都寺社案内

鮫洲八幡神社|品川区東大井の神社

鮫洲八幡神社の概要

鮫洲八幡神社は、品川区東大井にある八幡神社です。鮫洲八幡神社の創建年代等は不詳ながら、当地の旧称御林村が開闢して以来の神社だといいます。明治7年村社に列格、昭和4年白山神社を合祀したといいます。

鮫洲八幡神社
鮫洲八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 気長足姫尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊
境内社 弁天社
住所 品川区東大井1-20-10
備考 -



鮫洲八幡神社の由緒

鮫洲八幡神社の創建年代等は不詳ながら、当地の旧称御林村が開闢して以来の神社だといいます。明治7年村社に列格、昭和4年白山神社を合祀したといいます。

「品川区の文化財」による鮫洲八幡神社の由緒

御林猟師町の鎮守である。鎮座した年代は不明であるが、村の開闢以来の神社であると伝えている。毎年五月中に神楽湯立の神事を行っている。(「品川区の文化財」より)

新編武蔵風土記稿による鮫洲八幡神社の由緒

(大井村)八幡社
除地九十坪、小名御林町にあり、鎮座の年代は傳へざれども、當村開闢以来の神社といへば古社なるべし、御林町の持にて祭年には八月十五日神輿を渡せり、又毎歳五月中神楽湯立等の神事を行へり、村内常林寺来福寺の兩寺より隔年にこれを司れり、入口に柱間二間ほどの石の鳥居を建、本社は宮造にて六尺四方前に拝殿あり、三間に二間東に向ふ。(新編武蔵風土記稿より)

「大井町史」による鮫洲八幡神社の由緒

八幡神社
八幡神社はまた鮫洲八幡とも云ふ。御林町百五十四番地に在りて、譽田別命を祀る。
大井村鑑には『文政十年七月御代官中村八太夫支配の節書上帳に記し有之、元禄度検地水帳の頃は官林中なれば除地なし、御林町草創より建立したるものと見えたり』とあり。猶明和四年九月検地縄入の節は『御林跡三口下之下畑三反二畝三歩村持謂の外二、長十間横九間八幡地』とある點から考ふれば、此の時初て除地になつたのであらう。
文化十酉年三月社殿を再建し、御林町の總鎮守であつて、常林寺及来福寺に於て隔年に注連縄する社であつたが、明治五年神佛分離の制に依り、神職を置くこととなつた。祭禮は毎年八月十五日で、神輿の渡御が行はれる。明治七年村社に定められ、明治三十年六月から神饌幣帛料供進の神社に指定された。社地は一千七十五歩であつて、東間口三十八間半、西二十八間半、南三十四間、北三十八間であつて、境内に平林九兵衛氏の頌徳碑及鯨塚がある。境内末社として嚴島神社、漁呉玉神社(俗に水神社と稱す)がある。
白山神社は、元御林、山の内の氏神なりしが、大正四年新國道開通と共に、道路敷に當れる居住者は大半移轉し、殘れる氏子少數となり、維持困難の爲め、八幡神社氏子と協議の上、昭和四年八月十四日八幡社へ合祀せらるることとなつた。
江戸名所圖會の海晏寺記中に、『往古當時開創の頃、松、槻各二千株を植え、洲崎に八幡の社を營み建つ』とあり。又海晏寺鍾銘中にも『於境内立白山権現、伊勢大神、春日八幡、稲荷、辨天等社爲寺鎮守』とあるより考察すれば、當時は白山権現も八幡神社も共に海晏寺の境内地中にあつたものであらう。(「大井町史」より)

「東京都神社名鑑」による鮫洲八幡神社の由緒

創立の年暦は許でないが、『新編武蔵国風土記稿』『府内場末沿革図書』等に記されている。けだし、寛文(一六六一-七三)以前に奉祀せられ、古来、御林町の総鎮守であった。明和四年(一七六七)九月、伊奈備前守忠宥検地の節、長さ拾間、横九間で九拾坪の社地を定められ、なお社回りの地、参反弐畝参歩を村持とされた由伝えられている。しかして往時は近在の常林寺、来福寺が隔年拝で注連引きを奉仕したものであり、元文三年(一七三八)、修復遷宮が行なわれ、文化十年(一八一三)三月再建された。合併神社として、昭和四年八月十四日、白山神社(大井町林付鎮座)を合祀。(「東京都神社名鑑」より)


鮫洲八幡神社の周辺図


参考資料
  • 「品川区の文化財」
  • 「東京都神社名鑑」
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「大井町史」


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「品川区の文化財」
  • 東京都神社名鑑