利田神社|東海寺の沢庵が弁財天を勧請、利田新地、鯨碑
利田神社の概要
利田神社は、品川区東品川にある神社です。利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。当社内には寛政10年(1798)5月に暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑鯨碑があります。
社号 | 利田神社 |
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祭神 | 市杵島姫命 |
配祀 | - |
境内社 | 金槌稲荷神社、(正和稲荷神社) |
住所 | 品川区東品川1-7-17 |
備考 | 鯨碑 |
利田神社の由緒
利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとされます。当地一帯は安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、当社も利田神社と称します。
東京都神社名鑑による利田神社の由緒
利田神社
当社は元洲崎弁財天と称せられ、由緒不詳であるが、寛永三年(一六三六)九月六日東海寺の沢庵禅師これを祀り、弁天社と号したといういい伝えがある。福徳智恵の神として信仰され、近来福寿弁財天とも尊称せられている。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による利田神社の由緒
(南品川新開場)
辨天社
境内百九十三坪七合五勺、當所の北界にあり、社は間口二間奥行二間半神體は木の坐像長二尺一寸脇立二童子木の立像にて長は各一尺五寸ばかり。
供所。社の東側にあり、三間に二間
社守仙伏院。當山修験青山鳳閣寺配下、本尊不動を置、修験となしりより四世相續す、同派の修験不動院同居す。
鯨塚
當所の中程榎樹の下にあり、寛政十年五月朔日猟師町の漁夫鯨魚を獲たり、長九間高七尺、同三日濱御庭に率寄られ上覧あり、後其骨を埋て塚上に石を建鯨塚の二字を題す。(新編武蔵風土記稿より)
利田神社所蔵の文化財
- 品川拍子(品川区指定文化財)
利田神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑