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下神明天祖神社|品川区二葉の神社、下蛇窪村の鎮守

下神明天祖神社の概要

下神明天祖神社は、品川区二葉にある天祖神社です。下神明天祖神社は、蛇窪村が上蛇窪村と下蛇窪村に分立した際に、下蛇窪村の鎮守として創建されたと伝えられています。明治期には村社に列格しています。

下神明天祖神社
下神明天祖神社の概要
社号 天祖神社
祭神 天照大御神、応神天皇、天児屋根命
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 例祭日9月中旬、縁日9月16日
住所 品川区二葉1-3-24
備考 下蛇窪村の鎮守



下神明天祖神社の由緒

下神明天祖神社は、蛇窪村が上蛇窪村と下蛇窪村に分立した際に、下蛇窪村の鎮守として創建されたと伝えられています。明治期には村社に列格しています。

境内掲示による下神明天祖神社の由緒

窪地であったこの一帯は、江戸に幕府が置かれる前の戦乱激しき時代より陣を張るのに適していたため、兵備窪と称されたと云われており、後に蛇窪と記されるようになった。
神社については大荏原総乱に「その鎮座は不明なるも六代将軍家宣時代より社として崇拝されていたと伝えられている」とある。又荏原区史に「その時代は不詳であるが、上・下蛇窪の分立は正保年間である」と記されている。元々は神明宮と呼ばれていたが、村が立会川の上流域と下流域に分かれたのに伴い社も分立し(1643)天祖神社と社名が制定された。
神明造りの現御社殿は昭和47年の建立である。また御神木のカヤを始め21本の境内樹木が品川区保存樹に指定されている。
明治7年4月2日、無格社より村社に昇格された。
明治42年12月12日、無格社稲荷社が境内に併合された。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による下神明天祖神社の由緒

神明社
除地4畝23歩。村の東の方にあり。本社は6尺に9尺、拝殿2間に2間半、村の鎮守なり。勧請の年代をしらず。祭礼9月16日、東光寺持なり。(新編武蔵風土記稿より)

新編武蔵風土記稿による境内社稲荷社の由緒

稲荷社
除地1畝21歩、同所にあり。是も東光寺持なり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による下神明天祖神社の由緒

幕府時代、その重臣森屋一族により創建され、一族の敬神の的となっていたといわれている(『荏原区史』)。永禄元年(一五五八)四月足利義氏が下総に進軍途中、この地に兵をそなえ、社祠として祀り、戦勝祈厳をされたという一説もある。『荏原町誌』、『大荏原総覧』に、神明宮として村民に氏神様としてうやまわれていたが、正保年間(一六四四-八)上と下の両社にわかれ、それぞれ現在の地に鎮座なされ、この期より天祖神社と正式に神社名が呼称されるようになった。寛永二十年(一六四三)『荏原町誌』に、六代将軍徳川家宣が厚く崇拝されたといわれている。(東京都神社名鑑より)


下神明天祖神社の周辺図


参考資料