水神社|品川区南大井の神社
水神社の概要
水神社は、鹿島神社の境外末社で、社殿はなく、溶岩を積み上げた洞窟の中にあります、大井村の人、桜井伊兵衛、大野忠左衛門が願主となって九頭竜権現社として創建したといわれています。
社号 | 水神社 |
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祭神 | 水波能売命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
住所 | 品川区南大井5-14-19 |
備考 | 鹿島神社の境外末社 |
水神社の由緒
水神社は、大井村の人、桜井伊兵衛、大野忠左衛門が願主となって九頭竜権現社として創建したといわれています。
「品川区の文化財」による水神社の由緒
貞享2年(1685)に大井村の人、桜井伊兵衛、大野忠左衛門が願主となって当社を創建したといわれている。恐らく旱魃を避けるため水の神を勧請したものであろう。
当社には柳の清水と呼ばれる湧き水があって、大井の村民がこの水を汲んで雨乞いをしたといわれている。また当社は歯痛を止める利益があるといわれている。(「品川区の文化財」より)
新編武蔵風土記稿による水神社の由緒
九頭龍権現社
年貢地村の中程にあり、祭禮毎年四月十五日及び七月十五日、神酒を供ふ常林寺の持、此社の側に年ふりたる柳樹ありて、その本に古井あり柳の清水と唱ふ、旱打續きし時も涸ることなしといふ(新編武蔵風土記稿より)
「大井町史」による水神社の由緒
水神社 水神社は、水神下二千二十番地に在り、無格社にして、祭神は水葉乃命を祀り、鹿島神社の境外末社であつて、貞享二乙丑年、常林寺沙門榮往の代櫻井伊兵衛、大野忠左衛門願主となり、神祠を造營寄進し、九頭龍大権現を祭る。親睦の柳は、櫻井伊兵衛、靈龍寶石は秋元八郎兵衛、神前水中の丸大石は大野忠右衛門、石垣は濱川大野惣左衛門の寄進に成ると、鹿島神社の起立縁起にある。 此の社は歯を病めるものに靈験あらたかなりといふので、今に至るも参詣者が多い。祭禮は毎年四月二十日である。境内に清水の湧出する井あり。之を柳の清水と云ふ。昔旱魃に苦しむ村民は、此の井水を用ひて、屡々雨乞の神事が行はれたといふことである。「南浦地名考」に 此邊の耕地を牛追田と云ふ、天正の頃大旱魃ありて、六郷大師河原より此の清水を牛にて汲運びしとぞ、田場も日干故耕地の真中を往来せし故、牛追田と名付しとぞ、近世此最寄に堀抜井戸を造りて田場の助とす、名まで稲の田を云ふ。 苗代の水は稲井に任せたり、民安けなる君が御代かな 景山(「大井町史」より)
水神社所蔵の文化財
- 大井の水神(品川区指定史跡)
大井の水神(品川区指定史跡)
貞享2年(1685)に大井村の人、桜井伊兵衛、大野忠左衛門が願主となって当社を創建したといわれている。恐らく旱魃を避けるため水の神を勧請したものであろう。
当社には柳の清水と呼ばれる湧き水があって、大井の村民がこの水を汲んで雨乞いをしたといわれている。また当社は歯痛を止める利益があるといわれている。(「品川区の文化財」より)
水神社の周辺図
参考資料
- 「品川区の文化財」
- 新編武蔵風土記稿
- 「大井町史」