大井鹿島神社|品川区大井の神社

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大井鹿島神社|大井村鎮守、江戸郊外三大相撲

大井鹿島神社の概要

大井鹿島神社は、品川区大井にある鹿島神社です。大井鹿島神社は、安和2年(969)に常陸の鹿島明神を勧請し創建したと伝えられます。古くからの祭礼として相撲が奉納されており、当社の相撲は、渋谷氷川神社世田谷八幡宮とともに江戸郊外三大相撲の一つとされていました。

大井鹿島神社
大井鹿島神社の概要
社号 鹿島神社
祭神 武甕槌神
配祀 -
境内社 三峯神社、金刀比羅神社、天祖神社、八幡神社、稲荷神社、水神社(境外)
住所 品川区大井6-18-36
備考 大井村鎮守



大井鹿島神社の由緒

大井鹿島神社は、安和2年(969)に常陸の鹿島明神を勧請し創建したと伝えられます。古くからの祭礼として相撲が奉納されており、当社の相撲は、渋谷氷川神社世田谷八幡宮とともに江戸郊外三大相撲の一つとされていました。

「品川区の文化財」による大井鹿島神社の由緒

安和2年(969)に常陸の鹿島明神を勧請したものが当社の始まりと伝えているが明らかでない。
当社の祭礼には古くから大井の村民によって相撲が奉納される。この行事はかなり古くから行われていた様であるが、文化14年(1817)に一時中断し、のち弘化4年(1847)に時の大井村名主大野貫蔵が代官に願出て復興した。(「品川区の文化財」より)

新編武蔵風土記稿による大井鹿島神社の由緒

鹿島社
除地一段四畝、村の南方にあり、当村の鎮守なり。相傳ふ安和2年の頃常陸国鹿島明神を勧請せりと。
本社九尺四方拝殿七間に六間半。前に石の鳥居あり、柱間九尺許、拝殿の西北に二間に二間半の神楽堂あり。豊歳を祈んがため毎年六月中村民こぞりて神楽を奏す。九月十五日にも神事ありといふ。
末社。
稲荷社、弁天社。共に本社の側にあり。(新編武蔵風土記稿より)

「大井町史」による大井鹿島神社の由緒

鹿島神社
鹿島神社は、鹿島谷三千二十八番地に鎮座し、古来から大井村の總鎮守であつて、武甕槌神を祭祀す。人皇第六十三代、冷泉天皇の御宇、安和二己巳年九月、常陸の鹿島神宮の御分靈を奉斎したものである。大祭は毎年九月十九日であつたが、現今では新暦に則り、十月十九日に改められ、當日は奉納相撲が催される。これは古来から有名な行事の一であつて、文化十四年に中絶せるを、弘化四年九月之を再興すべく、時の大井村名主大野貫蔵が、代官築山茂左衛門へ願ひ出でにより、現今に至るまで、神社の歴史的餘興として繼續され、近郷より来り會するもの頗る多く、殷賑を極めて居る。古くは字關ヶ原の溜池の傍に於て行はれた。この溜池は元禄年間品川用水設置と共に、不用に歸した爲め、其の地を利用したものであらう。
當社は、明治維新迄は来迎院が、別當として奉仕して居たのであるが、明治の初年、神佛混淆の禁令が發布せらるると主に獨立し、社號を鹿島神社と定められ、村社に列せられた。當時其筋より鹿島神社神官へ献勤仰付られた神社は相當多數に上つて居た。即ち村内の各社は云ふ迄もなく、近くは入新井村村社熊野神社新井宿春日神社山王日枝神社八景坂天祖神社根ヶ原神社下池上村稲荷神社等が在る。
境内は検地帳に、除地一千九十二歩とあり、苑内には、槻・樟・榎等の老樹が枝を交へて繁茂し、鬱蒼として自ら尊嚴を覺ゆる、舊本殿の傍に俳句の碑が在る。
爐の友のめくり逢ひたるさくらか那 社格斎景山
碑陰に左のやうな由来が刻まれてある。(碑文省略)
神社所蔵の古文書として、正徳三年九月十九日、氏子の農家より御供米奉献等より觀ても、この神社が如何に古くより村内崇敬の中心であつたかが知られる。近く明治四十年五月勅令により、神饌幣帛料供進の神社に指定せられた。
猶當社は創立以来、九百數十年を經過したるを以て、其間數囘の改築が行はわれた事は勿論であるが、最近までの社殿は、文化八年に造られたもので、破損と狭隘の爲め、昭和三年一月より氏子からの募財を開始し、改築に着手することになつた。元より形式と施工とは、神社建築に於てきわめて重大なりとの見地から、設計者としては日本建築界の権威として知られた、帝室技藝員佐々木岩次郎氏を選び、施工は名古屋の名匠、伊藤平左衛門氏に命じ、總工費十數萬園を以て、昭和四年五月に工を起し、同六年十月竣工を告げた。形式は流れ造で、有ゆる要所には餘す所なく飾金具が施されて居るので、檜材白木造の簡素な建築に、千木勝男木の装ひ嚴かに、金色燦爛として輝き、本殿拝殿共に悉く、輪奐の美を極め、優雅にして神々しさ限りなく、参拝者何れも崇高の念に討たれ粛然襟を正しうする。蓋し、大東京稀に見る神殿であらう、尚この改築と同時に、舊来の本殿は微細にして最も精巧を極めたる、所謂鎌倉彫りの彫刻を以てし、文久二年の建築に係り、将来特殊神殿として充分なる價値を存するので、之を後世に傳へる爲め、境内南寄りに移御し、雨露風雪を防ぐに覆舎を設けて、附属社として居る。(「大井町史」より)

東京都神社名鑑による大井鹿島神社の由緒

冷泉天皇の御代、安和二年(九六九)尊栄法印が、常陸国、鹿島神宮より御分霊を勧請し当地に奉祭した。明治維新の神仏分離令により、来迎院と鹿島神社が離れて、神官に大野氏が配せられた。現在の社殿は、昭和六年十月に竣工した。設計は佐々木岩次郎氏、施工は伊藤平左衛門氏である。旧本殿は、鎌倉彫の彫刻による貴重な建築であるので、覆合を設けて末社の神々を合祀している。(東京都神社名鑑より)


大井鹿島神社の周辺図


参考資料

  • 「品川区の文化財」
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「大井町史」
  • 東京都神社名鑑