諸宗山霊源寺|火葬寺、品川区荏原にある浄土宗寺院
霊源寺の概要
浄土宗寺院の霊源寺は、諸宗山無常院と号し、三田長松寺末です。開基は宝蓮社林誉霊源(1666没)、中興開山は貫蓮社法誉鉄哉(1927没)です。江戸時代より近郷の火葬寺として供養を行っていましたが、火葬場を博善株式会社(現東京博善桐ヶ谷斎場)へ譲渡しました。
山号 | 諸宗山 |
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院号 | 無常院 |
寺号 | 霊源寺 |
住所 | 品川区荏原1-1-2 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | 霊源寺本堂 |
備考 | 火葬寺 |
霊源寺の縁起
霊源寺は、宝蓮社林誉霊源(1666没)が三田豊岡町に開山、貫蓮社法誉鉄哉(1927没)が中興開山しました。
「品川区の文化財」による霊源寺の縁起
新編武蔵風土記稿の当寺の項に「荼毘所 境内奥ノ方ニアリ、近郷ノ寺院ヘ葬送ノ輩当寺ヘ送リテ荼毘ス」とあるように、当寺には、この近郷の人達が利用した火葬場が江戸期からあってその運営を当寺が行っていたので、火葬寺と呼ばれていた。また無縁寺とも呼ばれ無縁仏の埋葬と供養を主として行っていた。当寺は次第に衰退して建物ものちには境内にあった地蔵堂のみとなり、本尊は地蔵堂に安置されるようになった。明治初年には太政官から火葬場の許可を得て引続き行っていたが、明治18年に当寺と火葬場を分離し、火葬場の方は福永幸兵衛等10名の匿名組合に、その経営を譲渡した。その火葬場は大正7年に博善株式会社(現東京博善桐ヶ谷斎場)の経営に移り現在に至っている。当寺には檀家とその墓地はない。(「品川区の文化財」より)
新編武蔵風土記稿の縁起
(桐ヶ谷村)霊源寺
境内3538坪、村の東相州街道の中にあり。浄土宗江戸三田長松寺末。諸宗山無常院と号す。開山實蓮社林珠霊源寛文6年寂す。本尊阿弥陀木佛にして坐像長2尺、当寺昔は三田豊岡町に在しが何の頃か当所にうつれり。
地蔵堂。惣門の正面にあり。地蔵の像は立像にして長4尺余。
稲荷社。客殿の背後にあり。
荼毘所。境内奥の方にあり。近郷の寺院へ送葬の輩当寺へ送りて荼毘す。(新編武蔵風土記稿より)
霊源寺の周辺図