顕妙山本迹寺|新宿区南元町にある日蓮宗寺院
本迹寺の概要
日蓮宗寺院の本迹寺は、顕妙山と号します。寛永3年(1626)了本院日清大穂(俗名山中治郎、開基の次男)が開山、山中喜平治が開基となり、市ヶ谷に創建しました。青山六道辻への移転を経て、寛文4年(1664)現在地に移転しました。
山号 | 顕妙山 |
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院号 | - |
寺号 | 本迹寺 |
住所 | 新宿区南元町10-6 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本迹寺の縁起
本迹寺は、了本院日清大穂(俗名山中治部、開基の次男)が開山、山中喜平治が開基となり、寛永3年(1626)市ヶ谷に創建したといいます。青山六道辻への移転を経て、寛文4年(1664)現在地に移転しました。
「四谷區史」による本迹の縁起
安房誕生寺末日蓮宗の顯妙山本迹寺は元鮫河橋八軒町にあつて、境内古跡年貢地二百九十六坪を有した。寛永三年市谷に起立し、其後権田原に移り、寛文四年鮫河橋へ轉じたのである。開基は顯妙院本迹日國居士俗名山中喜平次、死去年月は詳かならず、子孫は文政中元鮫河橋の名主又太郎が相續してゐた。開山は了本院日清大徳俗称山中治部、これは喜平次の次男であつて、寛文十一年五月十六日死去した。本堂内陣二間四方、本尊宗法通り諸尊を安置し、鎮守堂には開運妙見、火防七面大明神、子安鬼子母神を相殿とした。移轉の條を元鮫河橋南町書上には更に明かに、舊地は市谷本村尾州邸前であつたのが用地となり権田原へ移る、其地は六道辻であつたとする。この寺の支配に法雲院といふ庵があつたが、始め戒行寺に屬し、中古より支配下になつたのだと傳へた。(「四谷區史」より)
本迹寺の周辺図