天沼稲荷神社|杉並区指定有形文化財の大絵馬
天沼稲荷神社の概要
天沼稲荷神社は、杉並区本天沼にある稲荷神社です。天沼稲荷神社の創建年代は不詳ですが、蓮華寺の過去帳に慶長19年(1614)に境内が除地となった記載があり、また天沼八幡神社が旧天沼村字中谷戸の鎮守社として天正年間(1573-1591)に創建したと伝えられることから、天沼稲荷神社も1600年前後に創建されたものと推定されます。天沼稲荷神社の本殿は、山王日枝神社の内殿を移築したものといい、同時期に奉納された大絵馬は杉並区有形文化財に指定されています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 保食神 |
相殿 | - |
境外社 | 猿田彦神社、市杵嶋神社、三峰神社 |
祭日 | 例祭日10月10日 |
住所 | 杉並区本天沼2-14-10 |
備考 | 旧天沼村小名本村鎮守 |
天沼稲荷神社の由緒
天沼稲荷神社の創建年代は不詳ですが、蓮華寺の過去帳に慶長19年(1614)に境内が除地となった記載があり、また天沼八幡神社が旧天沼村字中谷戸の鎮守社として天正年間(1573-1591)に創建したと伝えられることから、天沼稲荷神社も1600年前後に創建されたものと推定されます。
杉並区教育委員会掲示による天沼稲荷神社の由緒
当社は旧天沼村本村の鎮守です。祭神は保食神で、境外末社として猿田彦神社(猿田彦命、本天沼2-26)、市杵嶋神社(市杵嶋比売命、本天沼2-5-15)、三峰神社(伊弉諾命・伊弉册命、本天沼2-5-15)を祀っています。
創建年代は当社の別当職をつとめていた蓮華寺の過去帳に「慶長十九年(1614)、板倉周防守より本社境内を除地とする」と記録されていることから、それ以前とも考えられますが、詳しいことは明らかではありません。しかし社伝によれば、稲荷信仰が村内に広まったのは、寛永十二年(1635)に当地が赤坂山王社(山王日枝神社)領となってからと、伝えています。
また、江戸時代の当社について「新編武蔵風土記稿」には「除地百五十坪、小名本村にアリ、此所ノ鎮守ナリ、本社三尺四方、上覆二間ニ三間」と記されています。
現在の本殿は、明治初年に前記の山王社の内殿を譲りうけて移築したもので、社殿は、平成十五年に新たに造営されたものです。
文化財として、内殿移築と同じ頃に山王社(山王日枝神社)から奉納された祭礼の様子を画いた畳二畳ほどの大絵馬(区指定文化財)、弘化五年(1848)二月奉納大幟、文政六年(1823)四月銘の手洗水盤などがあります。(杉並区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による天沼稲荷神社の由緒
(天沼村)稲荷社
除地百五十坪、小名本村にあり。此所の鎮守なり。本社三尺四方、上覆二間に三間。蓮華寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
天沼稲荷神社所蔵の文化財
- 板絵着色祭礼図一面(杉並区区指定文化財)
- 弘化五年(1848)二月奉納大幟
- 文政六年(1823)四月銘の手洗水盤
板絵着色祭礼図一面
本大絵馬は、明治初年旧天沼村の氏子中が奉納したもので、桧板三板を横矧にし、飾金具を配した漆塗りの額で装飾されています。横長の画面には幟を立てた社殿、赤丸に「天」と染め抜いた半天を着た人々、裃姿の武士、そして山車上の囃子方など、祭礼の情景が生き生きと描かれています。作者の「陸斎」はどのような人物であったか不詳です。画面の「玉村作」は裏面の墨書から額師と考えられています。祭礼の情景を描いた区内唯一の絵馬で、また絵師、額師名も記された貴重なものです。(杉並区教育委員会掲示より)
天沼稲荷神社の周辺図