田中稲荷神社|桃園川ぞいに広がっていた水田の中に鎮座
田中稲荷神社の概要
田中稲荷神社は、杉並区高円寺南にある稲荷神社です。田中稲荷神社の創建年代は不詳ですが、桃園川ぞいに広がっていた水田の中にあったことから、田中稲荷の名で呼ばれるようになったといわれます。現在高円寺天祖神社の境外末社となっています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 受持神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭日9月16日 |
住所 | 杉並区高円寺南1-30-15 |
備考 | 高円寺天祖神社の境外末社 |
田中稲荷神社の由緒
田中稲荷神社の創建年代は不詳ですが、桃園川ぞいに広がっていた水田の中にあったことから、田中稲荷の名で呼ばれるようになったといわれます。現在高円寺天祖神社の境外末社となっています。
新編武蔵風土記稿による田中稲荷神社の由緒
(高円寺村)稲荷社
除地、三畝、村の東の方田の畔にあり。田中稲荷と称す。社は三尺四方、上屋二間に二間半、鳥居をたつ、村民持。 (新編武蔵風土記稿より)
杉並区教育委員会掲示による田中稲荷神社の由緒
田中稲荷と堀ノ内新道
田中稲荷神社は、「受持神」を祭神とした旧高円寺村の農家の守り神で、高円寺天祖神社(高円寺南1-16)の境外末社です。創建等の由緒については不詳ですが、桃園川ぞいに広がっていた水田の中にあったことから、田中稲荷の名で呼ばれるようになったといわれています。
以前は、毎年二月最初の午の日(初午)に村の家々で赤飯を炊いておむすびを作り、神前に供えて豊作を祈願したとのことです。現在でも「稲荷講」として、一月遅れの三月の初午の日に、近くの商店や町会の人々によって続けられています。
当社の前の道は、「堀ノ内新道」です。この道は、中野で馬糧商を営み、日蓮宗の熱心な信者で妙法寺の檀家総代をしていた関口兵蔵が、明治二十九年に私財を投じて作ったものです。中野駅から田中稲荷神社の前を通り、現在の蚕糸の森公園の西側を経て堀ノ内妙法寺の門前までの農道を整備して、道幅四間(7.2m)距離約二キロメートルの新道を作りました。「かいば屋」の叶屋が開いた道なので、通称「かいば道」といわれました。新道は、参詣人や地元の人々にたいへん喜ばれ、昭和三年翁の功績を讃えて地元有志により、「故関口兵蔵翁開道記念碑」が建てられました。(杉並区教育委員会掲示より)
田中稲荷神社の周辺図