如法山長善寺|谷中に創建、大正15年当地へ移転
長善寺の概要
日蓮宗寺院の長善寺は、如法山と号します。長善寺は、円立院日義(慶長19年2月19日寂)が実蔵坊と称して谷中に天正18年(1590)開山、2世長善院日行の代に現寺号を公称したといいます。5世日成の時代に谷中本村へ移転、大正15年当地へ移転したといいます。
山号 | 如法山 |
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院号 | - |
寺号 | 長善寺 |
住所 | 杉並区高円寺南2-40-50 |
本尊 | 十界諸尊と日蓮聖人坐像 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長善寺の縁起
長善寺は、円立院日義(慶長19年2月19日寂)が実蔵坊と称して谷中に天正18年(1590)開山、2世長善院日行の代に現寺号を公称したといいます。5世日成の時代に谷中本村へ移転、大正15年当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による長善寺の縁起
(谷中本村)長善寺
同宗(法華宗)安房国小湊誕生寺末、如法山と号す。開山円立院日義、天正8年起立、慶長19年2月19日化す。本尊三寶祖師、立像の鬼子母神、及び三光天子石像の祖師を安す。鬼子母神は傳教の作と云。
三十番神堂。是も(谷中本村善性寺三十番神堂と同じく)村内の鎮守なり。祭礼正月15日、堂内に鬼子母神、十羅刹女及毘沙門を置。(新編武蔵風土記稿より)
「杉並の寺院」による長善寺の縁起
長善院日行の時に現寺名としたという。但し、『明細帳』は、慶長二年(一五九七)の開創としている。
『新編武蔵』谷中本村長善寺の項には「天正八年(一五八〇)起立」とあるが、これは一八年の誤りであろう。なお、同項には、当寺三十番神堂が谷中本村の鎮守であり、その祭礼は正月一五日と載せ、また十羅剃女立像および毘沙門天立像の存在にも触れている。(新編武蔵・明細帳)(「杉並の寺院」より)
杉並区教育委員会掲示による長善寺の縁起
当寺は如法山と号する日蓮宗の寺院で、本尊は十界諸尊と日蓮聖人坐像です。寺伝によれば天正18年(1590)、円立院日義によって江戸府内の谷中(現台東区谷中)に開創され、はじめは実蔵坊と称していましたが、2世長善院日行の時に現在の寺号になったと伝えられています。
その後、5世日成の時代に谷中本村(現荒川区東日暮里)の地に移転しています。しかし、近代に入り国鉄線路拡張のために再び移転をよぎなくされ、大正15年に高円寺の寺町の一角を占める現在の地に移りました。昭和20年末、火災で堂宇を焼失し現在の本堂は昭和34年再建されたものです。
本堂左手前の三十番神堂は『新編武蔵風土記稿』に谷中本村の鎮守と記載されているもので、天保4年(1833)再建の古い建物です。堂内には法華経を守護するという30体の番神が祀られていますが、当寺のように三十番神像が全部揃っているのは都内でも珍しいといわれます。
文化財としては江戸時代からすでに知られていた十羅刹女像・毘沙門天像が安置されているほか、鬼子母神像や板碑も所蔵されています。
なお、墓地には徳川幕府の鍛金打物師として名高かった家城源七(文化13年<1816>没)の墓があります。(杉並区教育委員会掲示より)
長善寺の周辺図