井口山慈宏寺|名主井口杢右衛門が開基、荒布の祖師
慈宏寺の概要
日蓮宗寺院の慈宏寺は、井口山と号します。慈宏寺は、大宮前新田開墾の名主井口杢右衛門が開基となり、妙福寺16世の慈宏院日賢上人を開山に招いて寛文13年(1673)に創建したといいます。当寺の本尊は、二体ある「荒布の祖師」の一体で、日朗上人による作だといいます。
山号 | 井口山 |
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院号 | - |
寺号 | 慈宏寺 |
住所 | 杉並区宮前3-1-3 |
本尊 | 木造日蓮聖人立像(荒布の祖師) |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
慈宏寺の縁起
慈宏寺は、大宮前新田開墾の名主井口杢右衛門が開基となり、妙福寺16世の慈宏院日賢上人を開山に招いて寛文13年(1673)に創建したといいます。当寺の本尊は、二体ある「荒布の祖師」の一体で、日朗上人による作だといいます。
「杉並の寺院」による慈宏寺の縁起
当寺は、大宮前新田を開発した名主井口杢右衛門が妙福寺の慈宏院日賢を招いて開いた寺である。
有名な本尊の「荒布の祖師」は、弘長元年(一二六一)日蓮上人伊豆配流の折に、随行を許されなかった弟子日朗が荒布を巻き付けた流木で師を偲んで彫った立像・坐像二体のうちの立像凝姿の一体である。坐像の方は目黒碑文谷の法華寺(現天台宗円融寺)から堀ノ内妙法寺に移されたと、共に『江戸名所』に記されているものである。
なお、明治一一年(一八七八)当寺火災の時、たまたま松庵の天台宗円光寺(廃寺の項参照)が廃寺となり、その本堂および本尊馬頭観音立像を移した。現在の本堂は昭和四六年(一九七一)に新築。(「杉並の寺院」より)
杉並区教育委員会掲示による慈宏寺の縁起
井口山慈宏寺は日蓮宗です。寛文十三年(一六七三)に創建、開山は南大泉妙福寺の慈宏院日賢上人、開基は大宮前新田開墾の名主井口杢右衛門、檀家は新田開発に力をそそいだ人々が主体となりました。
当山安置の「荒布の祖師」について、江戸名所図会にはつぎのように書かれています。
弘長元年(一二六一)日蓮上人が伊豆の伊東に流される時、日朗上人は「是非おともに」と願いましたが許されず、鎌倉に留まり日蓮聖人の無事を日夜懇願しました。ある日、浜に荒布を巻きつけた流木を見つめて持ち帰り、日蓮聖人の影像を二体彫り上げました。
一体は座像で、目黒区の法華寺に安置され、後に堀之内妙法寺に移されました。もう一体は旅姿の立像で、当山の「荒布の祖師」です。
創建当時の伽藍は明治十一年に焼失、現在の堂宇は昭和四十七年に建立されました。釈迦如来などの仏像と「荒布の祖師」は昔のままです。
なお、当寺には明治八年高井戸学校の前身である郊西学校がおかれました。(杉並区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による慈宏寺の縁起
(大宮前新田)
慈宏寺
除地、七百五十六坪、小名本村にあり、日蓮宗、新座郡小榑村妙福寺末、井口山と号す。客殿七間に五間南向なり。本尊三寶を安す。開山慈宏日賢は本山の第十六世にして、寛文十三年四月廿三日寂せり。(新編武蔵風土記稿より)
慈宏寺所蔵の文化財
- 木造馬頭観音立像(杉並区指定文化財)
- 木造日蓮上人立像(杉並区指定文化財)
- 大宮前「當村開起慈宏寺大檀那」供養塔(杉並区指定文化財)
慈宏寺の周辺図