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江島杉山神社|墨田区千歳の神社

江島杉山神社の概要

江島杉山神社は、墨田区千歳にある神社です。江島杉山神社は、盲目の鍼灸師杉山検校が元禄6年(1693)当地に屋敷地を拝領、彼が修業した江の島の弁天岩窟を模して屋敷内に創建したといいます。明治時代に、江の島弁財天を祀った江島神社と杉山検校を祀った杉山神社とを合祀して江島杉山神社となりました。

江島杉山神社
江島杉山神社の概要
社号 江島杉山神社
祭神 江の島弁財天、杉山検校
相殿 -
境内社 -
住所 墨田区千歳1-8-2
祭日 杉山大祭5月18日
備考 -



江島杉山神社の由緒

江島杉山神社は、盲目の鍼灸師杉山検校が元禄6年(1693)当地に屋敷地を拝領、彼が修業した江の島の弁天岩窟を模して屋敷内に創建したといいます。明治時代に、江の島弁財天を祀った江島神社と杉山検校を祀った杉山神社とを合祀して江島杉山神社となりました。

すみだの史跡文化財めぐりによる江島杉山神社の由緒

杉山検校は若年のころ失明し、家が貧しかったので、一念発起、江の島の岩窟にて断食祈願し、満願の前夜夢に弁財天より鍼術を感応、その後寝食を忘れて修練し、ついに杉山流の鍼術を創始しました。のち五代将軍綱吉に鍼治を奉り、本所一つ目に方1町(12,000平方メートル)の土地を拝領しました。ここに総禄屋敷を建て、その西隣に弁財天の一社を建立したのが始まりです。総禄屋敷では例年2月16日、6月19日盲人が集まり、弁天堂で琵琶を弾じ奉納する習わしでした。ここ江島杉山神社には、江の島の弁天岩窟を模した洞穴があり、奥深く弁財天が祀られています。 なお、境内に即明庵の由来を記した昭和40年建立の「即明庵跡」の碑と、建立事情・年紀ともに不明の宝井其角「ほととぎす」の句碑があります。 その他、戦火の傷も生々しいいちょうの大木もあり、このあたり一帯の戦禍の激しさを物語っています。(すみだの史跡文化財めぐりより)

東京都神社名鑑による江島杉山神社の由緒

元禄六年(一六九三)鍼術杉山流の祖杉山和一総検校が五代将軍綱吉公より、ここに宅地を賜わったさいに、日頃信仰していた江の島の弁財天を勧請した。一つ目弁天と称していたが、明治以降は江島神社と称し、戦後、末社に祀ってあった杉山和一大人命の霊や、末社の稲荷社および金刀比羅社の祭神をも合祀し、江島杉山神社と改めた。(東京都神社名鑑より)


江島杉山神社所蔵の文化財

  • 杉山検校頌徳碑
  • 八橋城秀検校の碑

杉山和一と総禄屋敷跡について

ここは江戸時代、関東周辺の琵琶法師や鍼灸師、按摩などの盲人を統括していた総禄屋敷の跡です。 杉山和一は慶長10年(1610)、伊勢国安濃津(三重県津市)で生まれました。幼時に失明、はじめ江戸の山瀬検校に鍼灸を師事しましたが、後に京都の鍼師入江豊明に弟子入りしました。 厳しい修業の後、江ノ島の岩窟で断食祈願を行いました。その満願の明け方、霊夢を通して新しい針管術を考案しました。杉山流管鍼術は、鍼を管に入れ、的確にツボを押さえるという画期的なものでした。 その後の和一の名声は日増しに高まり、寛文10年(1670)、検校に任じられました。 さらに五代将軍綱吉の治療の功で褒美を尋ねられ、和一は目を請いました。綱吉は一ツ目(本所一之橋際の土地)と関東総禄検校職を与えたと伝えられています。時に元禄6年(1693)6月のことでした。 一町四方の土地に総禄屋敷と神社が建てられ、現在の場所には鍼治講習所もありました。現在の神社の名は、土地の拝領者と厚い信仰をささげた江ノ島弁財天を意味します。社殿の南側には江ノ島の岩窟を模した洞窟があります。(墨田区教育委員会掲示より)

※杉山検校の墓は立川弥勒寺にあります。

江島杉山神社の周辺図


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