津軽稲荷神社|津軽藩下屋敷の屋敷神
津軽稲荷神社の概要
津軽稲荷神社は、墨田区錦糸にある稲荷神社です。津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神としたといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇賀御魂神 |
相殿 | - |
境内社 | 弁財天社 |
住所 | 墨田区錦糸1-6-12 |
祭日 | - |
備考 | - |
津軽稲荷神社の由緒
津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神としたといいます。
境内掲示による津軽稲荷神社の由緒
津軽稲荷神社由来
津軽稲荷神社は青森県弘前城主津軽四郎為信十万石の下屋敷にて一万坪は明治四十三年の大水害と共に拂下られ太平町一丁目町会の所有となる。
昭和七年町名変更の際錦糸一丁目町会の守護神となり祭神は伏見稲荷神社の分神にて町民の信仰厚く大正十二年関東大震災及昭和二十年戦災の為焼失昭和三十五年拝殿及社務所会館再建落成致しました。又弁財天は江ノ島弁財天の分身で鳥居は明治百年を記念して昭和四十四年再建されました。町民一同之信仰の的とされて居ります。尚津軽華子様常陸宮様との御結婚之際当町より津軽家に御祝品贈り御礼として礼状及記念品を頂戴致しましたので神社内に保存してあります。
昭和五十八年明友会(境内掲示より)
東京都神社名鑑による津軽稲荷神社の由緒
もと弘前藩津軽家中屋敷に祀られた稲荷社が、維新後もそのまま残り、津軽稲荷神社と呼ばれ、地元の人びとの崇敬を受けている。(東京都神社名鑑より)
「墨田区史」による津軽稲荷神社の由緒
この地は、安政五年(一八五八)に屋敷相対替えによって陸奥国(青森県)弘前藩主津軽越中守順承の中屋敷となった所である。
稲荷社は、この中屋敷に祭られていたもので、明治維新後も、この地一帯の地守神として残され、津軽と呼ばれている。(「墨田区史」より)
津軽稲荷神社の周辺図