向東山天祥寺|肥前平戸藩4代目藩主松浦鎮信が中興開基
天祥寺の概要
臨済宗妙心寺派の天祥寺は、向東山と号します。天祥寺は、臨済宗浅草海禅寺が兼帯する寺院として寛永元年(1624)創建、向東山嶺松院と号していたといいます。元禄6年(1693)肥前平戸藩4代目藩主松浦鎮信が中興開基となり、盤珪国師を中興開山として、当地に中興したといいます。近隣に同宗の松嶺寺があり、まぎらわしいということから、中興開基松浦鎮信の法名天祥院殿慶厳徳祐大居士より、享保元年(1716)天祥寺と改号したといいます。
山号 | 向東山 |
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院号 | - |
寺号 | 天祥寺 |
住所 | 墨田区吾妻橋2-6-5 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
天祥寺の縁起
天祥寺は、臨済宗浅草海禅寺が兼帯する寺院として寛永元年(1624)創建、向東山嶺松院と号していたといいます。元禄6年(1693)肥前平戸藩4代目藩主松浦鎮信が中興開基となり、盤珪国師を中興開山として、当地に中興したといいます。近隣に同宗の松嶺寺があり、まぎらわしいということから、中興開基松浦鎮信の法名天祥院殿慶厳徳祐大居士より、享保元年(1716)天祥寺と改号したといいます。
「本所區史」による天祥寺の縁起
天祥寺
天祥寺は中之郷元町三十二番地に在り向東山と號し、臨済宗にして京都妙心寺の末である。開基は松浦肥前守鎮信にて開山は盤珪禅師である。元禄六年の創建に係り境内に養老泉と名けた水があつたので一碑を建て其の頃を記し文末に寛政十一年巳未十二月十六日天祥七世南道祖能記と刻してあつた。(「本所區史」より)
「東京名所図会」による天祥寺の縁起
天祥寺
天祥寺は。中之郷元町三十二番地に在り。向東山と號す。臨済宗にして。京都妙心寺の末なり。開基は松浦肥前守鎮信にて。開山は盤珪禅師なり。元禄六年の創建に係る。門に寺號の白字額を掲く。境内に井あり。養老泉と名く。一碑を建て其の事を記す。文末に寛政十一年巳未十二月十六日天祥七世南道祖能記と刻せり。(東京名所図会より)
「すみだの史跡散歩」による天祥寺の縁起
寛永元年(1624)の創建で、初め嶺松院と称して臨済宗浅草海禅寺が兼帯する寺院でしたが、元禄6年(1693)本所中之郷の下屋敷に隠居していた肥前平戸藩主松浦鎮信が譲り受け、深く帰依した盤珪国師を中興開山とし、臨済宗京都妙心寺派に属しました。
さらに享保元年(1716)、近隣に松嶺寺があってまぎらわしいという理由から、天祥寺と改めました。(すみだの史跡散歩より)
天祥寺所蔵の文化財
- 松浦鎮信の墓
- 祭贈従三位静山公詩碑
- 養老泉の碑
- 水鉢
- 盤珪国師の墓
- 生月鯨太左衛門の墓
天祥寺の周辺図