西光寺|墨田区千歳にある浄土宗寺院

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東日山西光寺|小林冶郎右衛門が開基

西光寺の概要

浄土宗寺院の西光寺は、東日山正明院といいます。西光寺は、当地で開拓と海苔の製造に従事していた小林冶郎右衛門が開基となり、増上寺の源蓮社信誉重故栄松和尚(寛永20年寂)を開山に迎えて、慶長11年(1606)創建したといいます。

西光寺
西光寺の概要
山号 東日山
院号 正明院
寺号 西光寺
住所 墨田区千歳2-4-7
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



西光寺の縁起

西光寺は、当地で開拓と海苔の製造に従事していた小林冶郎右衛門が開基となり、増上寺の源蓮社信誉重故栄松和尚(寛永20年寂)を開山に迎えて、慶長11年(1606)創建したといいます。

墨田区掲示による西光寺の縁起

旧両国橋が架かる半世紀以上も前の慶長十一年(一六〇六)、この地で土地の開拓と海苔の製造を行っていた小林次郎右衛門が、増上寺の信誉英松和尚を迎え当寺を創建しました。
浄土宗に所属し、江戸時代には寺子屋を開くなど地域の教育にも貢献しましたが、大火・震災・戦災など度重なる災害にも遭遇しました。
明治時代後半に第十六世となった渡辺海旭和尚は、ドイツに留学して仏教学の研究で博士号を取得し、帰国後は深川に浄土宗労働共済会を設立して、日本の近代社会事業の先駆者として知られています。また、没年まで芝学園の校長を務めた他、当寺に多くの学生を居留させ、門下生として著名な仏教者を多数輩出しました。学者としては『対象新修大蔵経』を監修発行したことでも有名です。
現在の本堂は、平成七年(一九九五)に再建されました。(墨田区掲示より)

「墨田区史」による西光寺の縁起

西光寺(千歳二丁目四番七号)
東日山正明院と号し、浄土宗京都知思院の末寺である。慶長十一年(一六〇六)に、小林治右衛門国広によって創建された。開山は源蓮社信誉上人英松和尚で、本尊は阿弥陀如来である。小林国広は天正七年(一五七九)、大阪から牛島の地に移り、海辺新田の開拓に当たった人で、後に出家して然蓮社湛誉休西比丘と称した。浅草のりの製造によって産をなしたともいう。
西光寺は享保二十年(一七三五)出版の「江戸砂子拾遺」に、坂東三十三所観音参りの写として行われた江戸三十三所観音参りの第二七番に記されており、慈覚大師作の観音像によって著名な寺院の一つに数えられていた。
境内には、浄土宗の開祖円光大師の御詠歌碑や初代竹本東猿塚があり、また、歌舞伎俳優七世沢村訥子、初世沢村宗之助、落語家二世古今亭今輔などの墓がある。(「墨田区史」より)

御府内寺社備考による西光寺の縁起

京都知恩院末深川
東日山正明院西光寺、境内除地六百七十坪
起立之儀者慶長十一年小林休西開基ニ而建立仕候。
開山源蓮社信誉重故栄松和尚寛永廿己年十二月廿一日行年百八歳ニ而寂。
開基然蓮社湛誉寂静休西長老、寛永五辰年七月朔日卒。
本堂、六間ニ八間半、向拝二間ニ三間。
本尊阿弥陀如来木座像、長二尺
脇立観音、勢至木座像、長一尺二尺。
善導大師、円光大師木座像、長各一尺二寸。
今上皇帝尊牌一基。将軍御代々牌尊一基。
地蔵菩薩木座像長三尺。観世音菩薩木立像長二尺八寸慈覚大師作、御府内廿七番札所。
脇立不動尊、毘沙門天各立像、長八寸慈覚大師作。前立観世音菩薩木立像、長一尺恵心僧都作。
鎮守社、三尺四方。右勧請之年月不詳正一位西光稲荷と唱別に神体休無御座候。
宝篋印塔。寛延己巳年六月当寺七世曹誉代建立。壱基。
以上戌子書上。(御府内寺社備考より)


西光寺の周辺図

参考資料

  • 「墨田区史」
  • 御府内寺社備考