法泉寺|墨田区東向島にある曹洞宗寺院

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晴河山法泉寺|葛西三郎清重が両親供養のために建立

法泉寺の概要

曹洞宗寺院の法泉寺は、晴河山と号します。法泉寺は、葛西三郎清重が両親供養のために建立、吉祥寺2世大州安充が真言宗から曹洞宗に改めて開山したといいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領8石5斗の御朱印状を拝領しています。

法泉寺
法泉寺の概要
山号 晴河山
院号 -
寺号 法泉寺
住所 墨田区東向島3-8-1
本尊 釈迦如来
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



法泉寺の縁起

法泉寺は、葛西三郎清重が両親供養のために建立、吉祥寺2世大州安充が真言宗から曹洞宗に改めて開山したといいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領8石5斗の御朱印状を拝領しています。

新編武蔵風土記稿による法泉寺の縁起

法泉寺
禅宗曹洞派、江戸駒込吉祥寺末、晴河山と号す。寺領8石5斗は慶安元年御朱印を附らる。住僧の傳へに当所は往古葛西三郎清重が知る所にして、彼が二親菩提のために建立せり。其頃は伽藍も壮麗にして村内大抵寺領なりしゆへ村名ともなれり。其後しは久々兵火のために焼払はれ、寺領も多く掠め奪はれ堂社も久しく廃せしを、天文元年大州安充と云僧中興して再び旧に復せしにより今是を開山となせりと。安元は永禄12年5月7日寂す。又過去帳に開基法泉寺大禅定門文明12年2月6日寂となり。此法泉は清重末葉の人なるにや。又同時当所の領主遠山新三郎某の亡妻覚憲良円大姉追福の為10畝の地を寄附ありしゆへ、是をも中興の開基をなせり。本尊釈迦を安す。
不動堂。髻不動と号す。立像長1寸余、元禄15年村民傳左衛門か娘当寺へ参詣の折から道にて拾ひ得し像なり。後夢の告によりて当寺に納めり。新田義貞髻中に納置し守本尊なりしと云。
地蔵堂。
衆寮。
鐘楼、貞享元年の鋳造なり。(新編武蔵風土記稿より)

すみだの史跡散歩による法泉寺の縁起

曹洞宗に属して晴河山法泉寺といい、文京区駒込吉祥寺末で区内でも古い寺院です。寺伝によると、昔、葛西三郎清重が所領地に両親の追善供養のために建立しましたが、荒廃し、それまでの真言宗から曹洞宗に改宗しました。
本尊は釈迦如来を安置、かつては新田義貞の守本尊という伝承を持つ俗称「髻不動尊」が信仰を集めたそうです。
また、非公開ですが、区内でも多数(8基)の板碑が保存されています。(すみだの史跡散歩より)


法泉寺にある墨田区登録文化財

  • 法泉寺所蔵の板碑8基
  • 法泉寺の石造地蔵菩薩立像
  • 法泉寺の銅造地蔵菩薩立像

法泉寺の石造地蔵菩薩立像

総高142センチメートルの舟形光背型の浮彫地蔵菩薩です。右手は欠損していますが、裳裾(もすそ)の状態から、おそらく錫杖(しゃくじょう)を持っていたと思われます。
彫りは丁寧で眉目秀麗な姿をしていますが、台石はなく、石壇に直に安置されています。
光背には、寛文2年(1662年)の年号と「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成佛道」と刻まれています。これは、中世より回向文として最も多く刻まれる法華経第七化城喩品(けじょうゆぼん)の一節です。その下段には3人の導師の名と20名の男性の名とともに「玉」という女性の名が刻まれています。

法泉寺の銅造地蔵菩薩立像

法泉寺は曹洞宗に属し、近世以前開創という区内でも古い寺院です。縁起によると、戦国時代に吉祥寺2世の大州安充により開山されたといわれます。
法泉寺の山門を入りすぐ左手に安置されている総高357センチメートルの地蔵菩薩立像は、享保2年(1717年)の造立です。三段の石造基壇の上に、左手に宝珠、右手に錫杖を持ち円光背を持ちます。
十方万霊供養と施主の先祖、及び一家霊魂菩提のために建立されたことが記されています。
この像には、蓮台式茄子に陽鋳銘を、地蔵の背面に記年銘・願主名(念蓮社十誉)・作者名(鋳物師(いもじ)宇田川善兵衛)を陰刻し、地蔵の全身に数百名にも及ぶ結衆者の名前がくまなく刻まれています。その職業が、やかん屋・豆腐屋などと分かることは特筆されます。
宇田川姓の鋳物師は中世末期から続く名家で、代々小伝馬町(現日本橋小伝馬町)に住み、数多くの作品を手がけています。

法泉寺の周辺図