金林山東漸寺|葛西三十三観音
東漸寺の概要
天台宗寺院の東漸寺は、金林山明了院と号します。東漸寺は、文安元年(1444)秀尊法印が創建、円挙法印が宝永年間(1704-1710)に中興したと伝えられます。東昌寺(宝徳2年1450年創建)を合寺しています。新葛西三十三所観音霊場7・8番です。
山号 | 金林山 |
---|---|
院号 | 明了院 |
寺号 | 東漸寺 |
住所 | 墨田区立花6-17-4 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 立花白髭神社のもと別当寺 |
東漸寺の縁起
東漸寺は、文安元年(1444)秀尊法印が創建、円挙法印が宝永年間(1704-1710)に中興したと伝えられます。東昌寺(宝徳2年1450年創建)を合寺しています。
新編武蔵風土記稿による東漸寺の縁起
東漸寺
天台宗江戸浅草寺末。金林山明了院と号す。当寺は文安元年秀尊といふ僧開基すと云。本尊弥陀。中興円覚、寛永7年11月18日示寂す。
観音堂。(新編武蔵風土記稿より)
「墨田区史」による東漸寺の縁起
東漸寺(立花六丁目一七番四号)
金林山明了院と号し、天台宗に属する。文安元年(一四四四)に秀尊法印が創建したと伝えられており、本尊は阿弥陀如来である。また、葛西三十三所観音参りの一つに数えられた十一面観世音が安置されている。なお、近年、北東裏手にあった同系の東昌寺(宝徳二年=一四五〇起立と伝えられる)を吸収合併している。
境内には、板坂卜斎の墓石・墓碑ゃ、元文元年(一七三六)の六地蔵、宝暦十三年(一七六三)銘の庚申塔などがある。
板坂卜斎の碑
板坂卜斎は幼名を長太郎、号を如春、東赤とも称し、後に父卜斎の名を継いだ医師である。徳川家に仕えたが、晩年は浅草北辺に閑居の地を求めて、ここに多数の蔵書を備え、「浅草文庫」と称して一般に従覧に供した。明暦元年(一六五五)に七八歳で没し、浅草寺支院医王院に葬られた。
墓石・墓碑は、医王院墓地の移転に伴い、東昌寺に移されたもので、墓石表面には「板坂如春先生」、裏面に没年が刻まれている。また延宝八年(一六八〇)建立の墓碑は「板坂卜斎如春叟碑銘」と題して、その業績が記されている。(「墨田区史」より)
廃寺となった東昌寺について
東昌寺
同宗同末(天台宗江戸浅草寺末)、医王山と号す。当寺は宝徳2年の起立と云。本尊薬師。(新編武蔵風土記稿より)
東漸寺所蔵の文化財
- 板坂如春(卜斉)先生の墓碑(延寳八年庚申仲冬十二日)
- 板坂卜斉如春叟碑銘
- 元文元年銘阿弥陀像と六地蔵
- 宝暦13年銘庚申塔(墨田区登録文化財)
- 安永9年銘地蔵座像
石造庚申道標
正面に青面金剛像が彫られた典型的な庚申塔で、総高は91センチメートルあります。青面金剛像の顔の部分に一部欠損が見られますが、各部の彫りははっきりしており、保存状態は良好です。さらに、左右の側面には「左 やくし道 右 市川道」とあり、庚申塔でありながら道標を兼ねている区内では珍しい例です。近世における庚申信仰と道祖神、道標との関係、また同地域の交通路の存在形態を考える上で重要な資料といえます。宝暦13年(1763年)11月に七左衛門、作左衛門をはじめとした21名により建立されました。
「やくし道」とは将軍の篤い信仰を受けた木下川薬師浄光寺へ抜ける道、「市川道」とは平井の渡しから市川へ抜ける道のことで、庚申道標はこの分岐点にあったと考えられますが、原位置は確定できません。(墨田区教育委員会)
東漸寺の周辺図