第六天榊神社|旧村社、浅草文庫跡地
第六天榊神社の概要
第六天榊神社は、台東区蔵前にある神社です。第六天榊神社は、日本武尊が、景行天皇40年(110)に創建したと伝えられます。もと第六天神社と称し、森田町(現蔵前3丁目)に鎮座していましたが、享保4年(1719)浅草不唱小名(柳橋1丁目)へ遷座しました。明治維新の廃仏毀釈により社号を榊神社へ改称、明治5年村社に列格、昭和3年浅草文庫の跡地であった当地へ移転しました。
社号 | 榊神社 |
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祭神 | 天神第六代坐榊皇大御神、面足尊、惶根尊 |
相殿 | - |
境内社 | 七福稲荷神社、事比羅神社、豊受神社、繁盛稲荷社 |
旧別当 | - |
住所 | 台東区蔵前1-4-3 |
備考 | 旧村社、境外摂社揖取稲荷神社 |
第六天榊神社の由緒
第六天榊神社は、日本武尊が、景行天皇40年(110)に創建したと伝えられます。もと第六天神社と称し、森田町(現蔵前3丁目)に鎮座していましたが、享保4年(1719)浅草不唱小名(柳橋1丁目)へ遷座しました。明治維新の廃仏毀釈により社号を榊神社へ改称、明治5年村社に列格、昭和3年浅草文庫の跡地であった当地へ移転しました。
東京都神社名鑑による第六天榊神社の由緒
景行天皇の御宇四十年(一一〇)、日本武尊が、勅命を奉じて東国の鎮定に下向された時、広漠たる武蔵野台地の東端で、東に筑波の嶺を、西に富士の霊峰を仰ぎ見、南に内海の清き白狼が、常世の浪の重浪と打ち寄せ、北に大樹の鬱蒼と生い茂った鳥越丘上の地を良き斎庭と定められ、国土創成の祖神である皇祖二柱の大御神を鎮祭し、御自ら奉持された白銅の宝鏡を納めて、東国の平安を祈願し、国家鎮護の神宮として創建されたのが、当社の創祀である。古来、「第六天神宮」と称され、公武衆庶の崇敬があつかった。江戸時代には、徳川幕府浅草御蔵の総鎮守として、将軍家より、当時日本第一といわれた大御神輿の奉納もあり、格別にあつい尊崇を受けていた。明治六年二月、神社名を「榊神社」と改めた。昭和三十五年六月に、御鎮座一千八百五十年式年大祭が、盛大に斎行された。当社は、全国に奉斎されている第六天神の「総本宮」として、広く崇敬されている。(東京都神社名鑑より)
「淺草區史」による第六天榊神社の由緒
村社榊神社
榊町に在り。舊名を第六天神社と稱す。江戸砂子に
第六天神社。淺草御門外。神主鏑木出羽守。祭神天神第六代面足尊惶根尊陰陽二神也。五行に配する時は七徳の神也。故に其時の民五穀成就のため祭れると見ゆ。至て古き社の由、人皇三十代欽明天皇御宇起立の舊社と云とあり。
元は森田町に在りしが、享保四年(一書に七年とあり)火災に罹りて後今の地に移る。
明治五年十一月十二日村社に定めらる。其の舊社號第六天社は佛名に紛はしければ六年二月地名によりて榊神社と改稱す。祭禮は今尚六月五日にして、舊時其の氏子は東都歳時記に、『第六天門前・旅籠町二丁目代地・同三丁目の代地・御蔵前片町・森田町・福富町一・二丁目・新旅籠町二丁目・同代地・御掃除屋敷・陸尺屋敷・元旅籠町一・二丁目・吹上御庭方拝領屋敷』と見えたり。境内二百四十八坪餘。出世稲荷社・金毘羅神社等あり。(「淺草區史」より)
御府内寺社備考による第六天榊神社の由緒
浅草不唱小名 第六天神社、古跡拝領地380坪東西47間1尺7寸南北22間。
当社旧森田町ニ御座候処、享保4年正月12日、松平対馬守殿被仰渡御用地ニ被召上、同年4月9日、浅草御門外松平市正殿上り屋敷跡ニ而元坪通代地被下置候。(御府内寺社備考より)
第六天榊神社所蔵の文化財
第六天榊神社の鎮座する当地は、かつて浅草文庫がありました。
- 浅草文庫跡碑
蔵前工業会掲示による浅草文庫
浅草文庫は、明治7年(1874)7月に創設された官立の図書館である。翌8年に開館し、公私の閲覧に供した。当時の和・漢・洋の蔵書数は十一万余冊とも十三万余冊ともいわれている。現在、その蔵書は、国立公文書館内閣文庫や国立国会図書館、東京国立博物館などに所蔵され、太政大臣三条実美の筆蹟と伝える「浅草文庫」の朱印が押されている。
明治14年5月に閉鎖。跡地は翌15年に設立の東京職工学校(旧東京高等工業学校、現東京工業大学)の敷地の一部となった。関東大震災後の大正13年、当時の東京高等工業学校は目黒区大岡山に移転。
昭和3年に現在地に移ってきた榊神社のあたりは、かつて、浅草文庫が位置していたところである。高さ4mの碑は、この文教の旧地を記念して、昭和15年11月建立された。(蔵前工業会掲示より)
第六天榊神社の周辺図
参考資料
- 「淺草區史」
- 東京都神社名鑑