光明寺|台東区元浅草にある浄土宗寺院
光明寺の概要
浄土宗寺院の光明寺は、学蓮社善誉上人万応和尚(寛永12年寂)が開山となり、摂取山遍照院新光明寺と号して創建、鎌倉光明寺の隠居寺だったともいいます。大正15年に、東上野6-1にあった西光寺と合併し、現在に至っています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 光明寺 |
住所 | 台東区元浅草4-7-10 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明寺の縁起
光明寺は、学蓮社善誉上人万応和尚(寛永12年寂)が開山となり、摂取山遍照院新光明寺と号して創建、鎌倉光明寺の隠居寺だったともいいます。大正15年に、東上野6-1にあった西光寺と合併し、現在に至っています。
御府内寺社備考による光明寺の縁起
京都知恩院末 浅草不唱小名
摂取山遍照院新光明寺 境内古跡拝領地1260坪、門前町有之。
当寺之儀者寛永年中之頃当所に在之候趣申伝候得共、由緒書并ニ旧書物等享保年中類火之節焼失仕候由ニ而書留等一切無御座候。
開山学蓮社善誉上人万応和尚、寛永12年8月4日寂。
中興鏡蓮社万誉上人天我和尚、寛文5年28日寂。(中略)以上甲乙書上
開山鎌倉光明寺一代洞誉上人、鎌倉光明寺隠居寺なり。子安観音、行基作、江戸札所15番。鎮守末広稲荷。(御府内寺社備考より)
西光寺について
京都知恩院末 浅草新寺町
金亀山無量院西光寺 境内古跡拝領地900坪、門前町有之。
当寺起立之儀は元和年中浅草御蔵前ニ而御年貢地ヲ借住居仕、其一円14ヶ寺罷仕候処、右地所従御公儀西福寺拝領仕候ニ付、寛永12年4月不残地立被仰付、住居無之難渋仕候故、一同寺社奉行安藤右京進様・松平出雲守様・堀市正様ヘ替地被仰付候様御訴訟仕候処、則道春永喜被成御寄合、学問与位之御吟味之上、日蓮宗不受不施并無学無官之僧6ヶ寺御除、残リ8ヶ寺者何れも学問宗旨之官位成就之僧ニ付、明ル寛永13年11月16日御地奉行庄田小左衛門殿、朝比奈源六殿、駒井次郎左衛門殿御立会ニ而各寺ヘ地所御割渡、於当所拝領仕候。
開山誓蓮社重誉上人梵及和尚、慶安元年正月21日寂寂。(御府内寺社備考より)
光明寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考