寿量山妙経寺|台東区元浅草にある日蓮宗寺院
妙経寺の概要
日蓮宗寺院の妙経寺は、寿量山と号します。妙経寺は、日浄上人が開山となり、天文4年(1535)武蔵国芝崎村(千代田区大手町)に創建、慶長16年(1611)当地へ移転したといいます。
山号 | 寿量山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙経寺 |
住所 | 台東区元浅草2-5-13 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙経寺の縁起
妙経寺は、日浄上人が開山となり、天文4年(1535)武蔵国芝崎村(千代田区大手町)に創建、慶長16年(1611)当地へ移転したといいます。
台東区教育委員会掲示による妙経寺の縁起
妙経寺は山号を寿量山という、日蓮宗の寺院である。「御府内寺社備考」によると、当時は天文4年(1535)に武蔵国芝崎村(千代田区大手町)に建立され、慶長16年(1611)に現在地に移転した。(台東区教育委員会掲示より)
御府内寺社備考による妙経寺の縁起
京都二条妙満寺末、浅草新寺町
寿量山妙経寺(境内領地九百坪)
開闢起立儀は天文四己未年、武州浅草新寺町ニ而、中興開基は慶長十六辛亥年也。右芝崎村御地面御入用ニ付、被召上。為替地只今之地所は浅草新寺町江地九百坪拝領仕候。
開山日浄、天文十八年己酉九月八日示寂。
二祖日掟、天正十五年丁亥十月二目示寂。
三祖日詮、文禄三年甲午六月十日示寂。
四祖日随、慶長十二丁丑年九月八日示寂。
中興開基日鑑、明暦四戊戌年五月四日示寂。
客殿。本尊釈迦多宝座像(長ヶ台共二尺六寸)。四菩薩立像(長ヶ台共一尺九寸二分)。文殊普賢(各獅子象座台共長ヶ五寸四分ニ一尺四寸二分)。不動愛染(長ヶ台共一尺二寸)。三光天子(立像長ヶ一尺五分)。大黒天像(長ヶ台共三寸五分)。四天王立像(長ヶ台共一尺九寸五分)。祖師日蓮座像(長ヶ一尺二寸五分)。門流之祖日什座像(長ヶ一尺石寸四分)。鬼子母神十羅刹女(長ヶ一尺二分)。
位牌堂一ヶ所
番神堂一ヶ所
半鐘。無銘
鐘楼。宝暦十三未年五月吉日。御鋳物師西村泉守藤原政時
塔中。
本性院
恵性院
以上乙酉書上
開山日什上人。(江戸志)
当寺と称念寺、溜池の證泉寺と三ケ寺ハ一身田の考分なり。考分とハ院家の心也。(江戸砂子)(御府内寺社備考より)
妙経寺所蔵の文化財
- 妙経寺の銅鐘(台東区登載文化財)
妙経寺の銅鐘
銅鐘の大きさは、総高151.5cm、口径96cm。宝暦13年(1763)、四代西村和泉守藤原政時によって鋳造された。 西村家は江戸時代中期から大正時代にかけて鋳物師を務めた家で、全国に多くの作品を残している。神田鍛冶町1丁目(千代田区神田)に居を構え、代々「和泉守藤原政時」を名乗った。四代は享保5年(1720)に三代の実子として生まれ、市郎兵衛・伊右衛門を称し、江戸府内の代表的な鋳物師であった。 銅鐘の縦帯に「武陽浅草新寺町妙経寺十世日隆」の陽鋳銘があり、鋳造以来当寺に伝来したものである。 平成10年に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。(台東区教育委員会掲示より)
妙経寺の周辺図