正覚山寿永寺|下谷七福神の布袋尊
寿永寺の概要
浄土宗寺院の寿永寺は正覚山得生院と号します。寿永寺は、得生院寿栄法尼(寛文4年1664年寂)が開基・第二世となり、暁誉位産(慶安5年寂)を開山として、寛永7年(1630)に創建したといいます。下谷七福神の布袋尊です。
山号 | 正覚山 |
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院号 | 得生院 |
寺号 | 寿永寺 |
住所 | 台東区三ノ輪1-22-15 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 下谷七福神の布袋尊 |
寿永寺の縁起
寿永寺は、得生院寿栄法尼(寛文4年1664年寂)が開基・第二世となり、暁誉位産(慶安5年寂)を開山として、寛永7年(1630)に創建したといいます。得生院寿栄法尼は、徳川秀忠夫人(淺井氏)に仕え、致仕後出家したそうです。
「下谷區史」による寿永寺の縁起
壽永寺(金杉下町六八番地)
京都知恩院末、正覺山眞如律院と號す。本尊阿彌陀如来。寛永七年二月八日の草創にかゝり、開山は暁譽位産。(慶安五年八月二十日寂)開基は得生院壽永法尼。(寛文四年七月二十日寂)尼は徳川秀忠夫人崇源院淺井氏に仕え、後出家して當寺を創立するに至つたが、寛永七年より正保四年までは實は尼の住所たる庵室に過ぎなかつた。そして同年改めて一寺とし、今の稱に定めたのである。中興の僧を眞如敬首(寛永元年九月二十日寂)といひ、學僧にして高徳の聞え高く、増上寺走譽大僧正ために奏聞して當寺を浄土律場と爲した。寶物に唐の善導大師の筆と稱する彌陀三尊像がある。(「下谷區史」より)
新編武蔵風土記稿による寿永寺の縁起
浄土宗京都知恩院末、正覚山真如律院と号す。本尊弥陀。開山暁誉位産慶安5年8月20日寂す。開基得生院寿栄法尼は崇源院殿に仕へ奉り、後薙髪して当寺を草創し、おのれ第二世となり寛文4年7月20日寂す。中興真如敬首は高徳の聞えありしかは、増上寺走誉大僧正其徳光を後に傳んと奏聞を経て、浄土律場とし、敬首を中興の開祖とす。寛延元年9月20日寂す。(新編武蔵風土記稿より)
寿永寺の周辺図