法住山要伝寺|根岸古寺めぐり7番
要伝寺の概要
日蓮宗寺院の要伝寺は、法住山と号します。要伝寺は、日厳(寛文8年1668年寂)が開山となり元和元年(1615)創建したといいます。根岸古寺めぐり7番札所となっています。
山号 | 法住山 |
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院号 | - |
寺号 | 要伝寺 |
住所 | 台東区根岸3-4-14 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 根岸古寺めぐり7番札所 |
要伝寺の縁起
要伝寺は、日厳(寛文8年1668年寂)が開山となり元和元年(1615)創建したといいます。
「下谷區史」による要伝寺の縁起
要傳寺(上根岸町六番地)
小湊誕生寺末、本尊十界曼荼羅。法住山と號す。元和元年四月、僧日嚴の開く所である。(「下谷區史」より)
新編武蔵風土記稿による要伝寺の縁起
(金杉村)要伝寺
法華宗安房国小湊誕生寺末、法住山と号す。本尊三寶を安す。開山日厳寛文8年2月寂す。(新編武蔵風土記稿より)
要伝寺所蔵所蔵の文化財
- 木造日蓮上人坐像(台東区有形文化財)
木造日蓮上人坐像
要伝寺は、江戸時代初期の起立です。明治10年代に提出された『日蓮宗明細簿』という記録によると、天保12年(1841)火災により書類がほとんど焼失してしまったとあります。その後も、安政大地震で死者が出るなどの被害に遭い、明治初年には廃仏毀釈のため、一時廃寺となりますが、同15年再建されました。関東大震災・戦災には大過なく、創建以来、寺地の 移動はありません。
本像は、ヒノキ材で割矧造〈わりはぎづくり〉。像高41cm。僧綱襟〈そうごうきん〉という後ろの襟が高い法衣を着け、左手に経巻、右手に笏〈しゃく〉を持ち、正面を見据えて座る日蓮像です。表面は漆塗りを施しています。その顔立ちは端正でりりしく、典型的な日蓮坐像の風貌を示しています。本像のように本格的な制作技法を用い、丁寧に作られた作品は、江戸時代でも初期に作られたと考えられます。
日蓮上人の坐像は、日蓮宗寺院にとって不可欠な像ですが、区内にある日蓮宗寺院のほとんどは、江戸時代の創建であるため、制作技法から江戸初期に作られたと考えられる本像は、今後、江戸時代の日蓮像、また他の宗派の江戸時代における祖師像の様相を知る上で貴重な遺品です。
要伝寺の周辺図