東陽山正燈寺|台東区竜泉にある臨済宗妙心寺派寺院
正燈寺の概要
臨済宗妙心寺派の正燈寺は、東陽山と号します。正燈寺は、溝口出雲守宣直(延宝4年1676年寂、法名寒光院殿禅林味歇大居士)、松平市正正勝(宝永3年1706年寂、法名瑞龍院殿大宙宗閑大居士)などが開基となり、勅謚大圓寶鑑国師愚堂東寔大和尚(寛文元年1661年寂)が承応3年(1654)に正燈庵と号して開山、元禄元年(1688)僧徳海の代に東陽山正燈寺と改めたといいます。江戸時代には、南品川海晏寺とともにもみじ寺として有名で「高雄の紅葉」と称されていたといいます。
山号 | 東陽山 |
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院号 | - |
寺号 | 正燈寺 |
住所 | 台東区竜泉1-23-11 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正燈寺の縁起
正燈寺は、溝口出雲守宣直(延宝4年1676年寂、法名寒光院殿禅林味歇大居士)、松平市正正勝(宝永3年1706年寂、法名瑞龍院殿大宙宗閑大居士)などが開基となり、勅謚大圓寶鑑国師愚堂東寔大和尚(寛文元年1661年寂)が承応3年(1654)に正燈庵と号して開山、元禄元年(1688)僧徳海の代に東陽山正燈寺と改めたといいます。
「下谷區史」による正燈寺の縁起
正燈寺(龍泉寺町七〇番地)
京都妙心寺末、東陽山と號す。本尊釋迦如来。(大正十二年九月焼失)承應三年、溝口出雲守宣直禅宗に歸依し、徳大師、顯妙院二寺の古跡地の百姓持であつたのを買受けて寺地に充て松平市正正勝に諸堂宇を建立し、大圓寶鑑國師を請じて開山とした。これ當寺の濫觴で、はじめ正燈庵と號したが、元禄元年今の寺號に改めた。寛政年中諸堂大破に及び開基家竝に總檀家合議の上取崩し、假堂を設置し、文政十年合議の上諸堂宇を再建したが、かの安政二年十月二日の大地震に皆潰滅し、同六年庫裏を再建したが、これ亦大正十二年の大震火災に焼失した。災禍を蒙ること尠からずといはねばならぬ。當寺は往時紅葉の名所であつて、高雄の苗を植ゑたので「高雄の紅葉」と呼ばれ、品川海晏寺に劣らずと稱せられたことは江戸砂子、新編江戸志、江戸名所圖會、江戸名所花暦に見えて人の知る所であるが、數箇度の變災もその因を爲したのであらう、今は全くその俤もとどめなくなつてしまつた。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による正燈寺の縁起
京都妙心寺末 下谷龍泉寺町
東陽山正灯寺、境内3000坪抱地640坪余御年貢地、内9畝21歩寛延3年8月東叡山除地。
起立承応3年、当寺元正灯庵と唱へしか、開山ヨリ三代目の僧徳海願上て名号となせり。
開山勅謚大円宝鑑国師愚堂東寔大和尚、寛文元年10月朔日寂。
開基溝口出雲守、延宝4年11月22日寂。法名寒光院殿禅林味歇大居士。松平市正、宝永3年3月10日寂。法名瑞龍院殿大宙宗閑大居士等也。但寺地ハ溝口家、家作は松平なり。(御府内寺社備考より)
正燈寺の周辺図