長國寺|台東区千束にある法華宗本門流寺院

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長國寺|石田三成の遺子が開山、お酉さま、酉の市

長國寺の概要

法華宗本門流寺院の長國寺は、鷲在山と号します。長國寺は、坂本伝右衛門が開基となり、石田三成の遺子ともいわれる大本山長國山鷲山寺第13世日乾上人が寛永7年(1630)浅草寺町に開山、寛文9年(1669)に当地へ移転しました。明和8年に大本山長國山鷲山寺から奉安された鷲大明神は、日蓮上人が勧請したもので、浅草酉の市の発祥の寺として有名です。江戸期には鷲神社の別当寺を勤めていました。

長國寺
長國寺の概要
山号 鷲在山
院号 -
寺号 長國寺
住所 台東区千束3-19-6
宗派 法華宗本門流
葬儀・墓地 -
備考 酉の市、お酉さま



長國寺の縁起

長國寺は、坂本伝右衛門が開基となり、石田三成の遺子ともいわれる大本山長國山鷲山寺第13世日乾上人が寛永7年(1630)浅草寺町に開山、寛文9年(1669)に当地へ移転しました。明和8年に大本山長國山鷲山寺から奉安された鷲大明神は、日蓮上人が勧請したもので、浅草酉の市の発祥の寺として有名です。

「下谷區史」による長國寺の縁起

長國寺(龍泉寺町一二〇番地) 上總鷲山寺末、本立山と號す。本尊十界勧請曼荼羅。寛永七年淺草元鳥越に草創せられ、同所が幕府用地となつたため、寛文九年この地に移つた。(現同町一〇六番地邊)開山は鷲山寺第十二世日乾、開基は坂本傳右衛門である。大正五年現番地に移轉の許可を受け、同七年一月二十日移轉を了した。 鷲神社はもと當寺の境内にあり、當寺はその別當であつた。明治の初め神佛分離の政令布かれて、鷲神社は獨立したが、境内相接するため毎年十一月酉の日には甚だ雑沓し、當寺よりは海運妙見大菩薩の守護札を頒つた。寺内に吉田文魚の墓がある。(「下谷區史」より)

御府内寺社備考による長國寺の縁起

上総国長柄郡鷲巣村鷲山寺末 下谷龍泉寺町
本立山長国寺(境内古跡年貢地三千二十五坪)
起立寛永七年。地処は浅草元鳥越御用地ニ而、被召上。寛文九己酉年当地江引移。
開山日乾、寛永十三丙子年三月三日寂。
開基坂本伝右衛門、法名弁正院。寛永九壬申年四月十二日卒。坂本伝右衛門孫、京都誓願寺前坂本民部与申候。
本堂。本尊十界(各木像)
番神堂。鷲大明神・毘沙門天相殿
右、鷲大明神本地妙見大菩薩。日蓮上人勧請本山鎮守ニ而、明和八卯年当寺江移す。縁起云
抑、当社に奉安置鷲大明神ハ、常在霊鷲山の本主、或示化身の応化即妙見大菩薩にして、運命守護の尊神なり。其由来を尋るに、往昔宗祖大菩薩上総国長柄郡長地の庄小早川左近太夫の請に依て、一夏九旬御滞留のうち宿願を発し、天にむかひ破軍星を祭祀し給ふ。頃ハ文永三寅年十一月乙酉夜、一心清浄の丹精を抽て祈念し給ふ。
時に束帯の君子、祈壇の下に在せ給ひ、上人に告給ふやう、上人運を祈る事誠に切なり。天帝感応あって、我に使たたしむ。其命に日、時なる哉時なる哉上人と高声に宣ひしかは、宗祖夢のこゝちして歓喜是胸にみち、尊体ハ何れの御方にてましますやと問ひ奉れハ、我は破軍星なり。上人神星を敬すること久し。我是を緩かせにせす今出現して後、末代王法仏法治国平天下の守護たるへし。衆人我を祈らは開運出世たらんと鷲の背に乗り移せ給ふ。上人奇異のおもひをなし、壇上を下給ハす。則鷲大明神と勧請し、鎮守と祭り給ふ。其時、其郷の地頭小早川より此山を上人に御寄附有之。其後弘安三年に至て開堂す。寺号を鷲山寺と号し、其処を鷲の巣村といふ。
今眼前に一派の本山なり。然るに尊神の霊験、年を積ミ日を追而顕現し、辺鄙山谿に鎮守ましましてハ、人霊験を蒙ることなし。中古、当山に移し奉る勧請ハ依神慮なり。古語にも、神は人の敬によって感すへし。人ハ神の徳によって運を加ふといヘり。唯一心清浄に祈拝せハ、響の音に応し水の影を移すか如し。霊験不思議の尊神なり。
鐘楼堂 洪鐘。右は、元禄三庚午年四月八日建立。
半鐘。右は、宝永元甲申年十一月建立。
稲荷社二宇。
疱瘡神社
烏枢沙摩明王 本地不動
塔中。了遠院。本尊十界
以上丙戌書上(御府内寺社備考より)


長國寺の周辺図