廣澤山正洞院|佐竹修理太夫が創建
正洞院の概要
曹洞宗寺院の正洞院は、廣澤山と号します。正洞院は、佐竹修理太夫が娘正洞院明室珠光尼のため、天州呑虎(元和元年寂)を開山として出羽国秋田に創建、後当地へ移転したといいます。
山号 | 廣澤山 |
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院号 | 正洞院 |
寺号 | - |
住所 | 台東区下谷2-6-2 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正洞院の縁起
正洞院は、佐竹修理太夫が娘正洞院明室珠光尼のため、天州呑虎(元和元年1615年寂)を開山として出羽国秋田に創建、後当地へ移転したといいます。
「下谷區史」による正洞院の縁起
正洞院(入谷町一〇六番地)
常陸耕山寺末、廣澤山と號す。本尊釋迦牟尼佛。(大正十二年九月焼失)某年(天正十九年以前)佐竹義宣の室正洞院那須氏開基し、天洲呑虎を開山としたと傳へる。元禄七年僧嶺視中興した。(「下谷區史」より)
(坂本村)正洞院
同宗常陸国久慈郡澤山耕山寺末、廣澤山と号す。前に云る如く(坂元村小名の旧地名廣澤の説明の如く)廣澤は此邊の小名なれば山号とせしこと知らる。本尊釈迦の三尊を安す。共に運慶の作と云。開山天州呑虎元和元年5月27日寂す。開基は佐竹右太夫義宣室那須壱岐守政資の女なり。法名正洞院明室珠光尼天正19年4月卒すと。されど佐竹家譜右京太夫義宣室常州館林城主多賀谷修理亮女と見え、那須家譜には、那須壱岐守政資子那須次郎資胤女佐竹義宣室と見ゆ。又家譜義宣は寛永10年正月25日卒すと記す。寺傳義宣の室天正に卒すと云ひ、加之法謚尼の字を加ふること皆年代齟齬するに似たり。又当寺寛文8年の由緒書を里正傳次郎か家に傳へり。当寺は元出羽国秋田に於て佐竹修理太夫建立、寺領150石を寄附ありしに、後故ありて彼地に居こと能はず当村に来り、小庵を結び、同宗の林泉寺の地を買得して別に正洞院とす。林泉寺も元は同宗正覚寺といへる寺地なりしと傳へりと記す。これに依ば当寺元は秋田に草創し、後当所に来れるにて廣澤山と称するは、直ちに林泉寺の山号を用ひしなるへし。堂内に正観音を安す、坂東二十八番の写にて、元は境内に別堂ありしか、安永年中焼失して未再建に及ばず。
鐘楼、貞享2年8月鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
正洞院の周辺図