養寿院|東京三十三観音霊場
養寿院の概要
天台宗寺院の養寿院は寛永寺山内の子院で、権大僧都廣海が寛永13年(1636)に創建したといいます。東京三十三観音霊場29番札所です。
山号 | - |
---|---|
院号 | 養寿院 |
寺号 | - |
住所 | 台東区上野桜木1-15-3 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 東京三十三観音霊場29番 |
養寿院の縁起
養寿院は、権大僧都廣海が寛永13年(1636)に創建したといいます。
東京名所図会による養寿院の縁起
養壽院
権大僧都廣海之を建つ。宿旦は松平筑前守、祈祝旦は松平庄次郎なり(東京名所図会より)
養寿院所蔵の文化財
- 絹本着色仏頂尊勝曼荼羅(台東区指定文化財)
絹本着色仏頂尊勝曼荼羅
仏頂尊勝曼荼羅とは、金剛界大日如来を中心に釈迦の徳を図化した八つの仏頂を描き、下部右に降三世明王、左に不動明王を配した曼荼羅です。仏頂は、上部中央より右廻りで、尊勝・広生・最勝・無辺声・放光・発生・勝仏頂と呼び、中でも尊勝が最も勝れているため、仏頂尊勝曼荼羅といいます。
本図は、縦122cm、横60cm。比叡山延暦寺の僧願海が、孝明天皇の皇子祐宮(後の明治天皇)の無事成育を祈るため、嘉永7年(1854)に京都の絵師岡田為恭(1823~1864)に描かせたものです。
為恭は、「冷泉為恭」の名でも著名な人物。文政6年(1823)絵師狩野永泰の三男に生まれ、一時は「冷泉」姓を自称しましたが、後に貴族の岡田家の養子となりました。平安時代に隆盛した大和絵の復興を志し、大和絵の技法を用いて独自の創作を行った人物で、彼のような絵師を復古大和絵師といいます。
本図の右下部と軸の左下部に為恭の署名があります。また、軸下部には為恭と親しかった公家東坊城聡長の識語があり、本図が制作された由来を記しています。本図は、為恭が31才の時の作品。為恭の代表作のひとつで、大和絵の技法の中に為恭独自の画風を盛り込んだ、秀逸な作品です。
養寿院の周辺図