本覚山自性院|御府内八十八ヶ所霊場
自性院の概要
新義真言宗寺院の自性院は、本覚山宝光寺と号します。自性院は、慶長16年(1611)道意上人が神田北寺町に開山、慶安年間当地へ移転したといいます。御府内八十八ヶ所霊場53番、御府内二十一ヶ所霊場10番札所、文豪川口松太郎の名作「愛染かつら」は、当院の愛染明王像と本堂前にあった桂の古木にヒントを得た作品だといわれています。
山号 | 本覚山 |
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院号 | 自性院 |
寺号 | 宝光寺 |
住所 | 台東区谷中6-2-8 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 御府内八十八ヶ所霊場53番札所 |
自性院の縁起
自性院は、慶長16年(1611)道意上人が神田北寺町に開山、慶安年間当地へ移転しといいます。文豪川口松太郎の名作「愛染かつら」は、当院の愛染明王像と本堂前にあった桂の古木にヒントを得た作品だといわれています。
「下谷區史」による自性院の縁起
自性院(谷中上三崎南町六番地)
本所彌勒寺末、本覺山寶光寺と號す。本尊金剛界大日如来、胎蔵界大日如来。慶長十六年二月、幕府より神田北寺町に地を給うて創立した。開山は僧道意。慶安元年同所幕府の用地となり、現地に替地を給せられて移轉した。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による自性院の縁起
本所弥勒寺末 谷中不唱小名
本覚山宝光寺自性院、境内古跡拝領地936坪内門前町家有之。
慶長16年2月15日、神田北寺町ニ而拝領仕候処、其後慶安元年、御用地ニ奉差上、於当所代地拝領仕候。
開山道意上人。
本堂、本尊金胎両部大日如来木像。弘法大師木像、興教大師木像、不動尊木像、薬師如来木像。
宝篋印塔、丈2尺2尺。
地蔵堂、地蔵尊石像。以上丙戌書上(御府内寺社備考より)
愛染堂・愛染かつらゆかりの地
愛染堂・愛染かつらゆかりの地
自性院は、慶長16年(1611)に神田に創建、慶安元年(1648)現在地に移った古寺である。
当院は、愛染堂に安置した愛染明王像で知られ、江戸文化が花開いたといわれる文化文政の頃(1804-30)になると、その名は近在まで広がったと伝えられる。江戸時代中期頃から別名を俗に愛染寺といわれた由縁である。
愛染明王像は、寺伝によれば、元文年間(1736-41)第9世貫海上人が境内の楠を彫刻いた。像高1m、像内には、貫海上人が高野山参詣のとき、奥院路上で拾得した小さな愛染明王が納められていると伝えられている。
愛染明王は、特に縁結び、家庭円満の対象として信仰されている。昭和の初め、文豪川口松太郎の名作「愛染かつら」は、当院の愛染明王像と本堂前にあった桂の古木にヒントを得た作品だといわれる。(台東区教育委員会掲示より)
自性院所蔵の文化財
- 木造阿弥陀如来坐像(台東区登載文化財)
- 木造不動明王立像(台東区指定文化財)
自性院の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」