倍増山金嶺寺|台東区谷中にある天台宗寺院
金嶺寺の概要
天台宗寺院の金嶺寺は、倍増山宝城院と号します。金嶺寺は、慶長16年(1611)神田北寺町に寺地を拝領して創建、天海僧正が寛永17年(1640)開山したといいます。慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場31番です。
山号 | 倍増山 |
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院号 | 宝城院 |
寺号 | 金嶺寺 |
住所 | 台東区谷中1-6-27 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場31番 |
金嶺寺の縁起
金嶺寺は、慶長16年(1611)神田北寺町に寺地を拝領して創建、天海僧正が寛永17年(1640)開山したといいます。慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。
「下谷區史」による金嶺寺の縁起
金嶺寺(谷中上三崎南町六八番地)
延暦寺派、(明治二年以前は東叡山末)信增山寶城院と號す、本尊阿彌陀如来。當寺も亦慶長十六年二月十五日、神田北寺町に幕府より寺地千二百坪を給うて起立し、慶安元年十一月、代地を給うて現地に移つた。明治戊申の兵變に罹つたが、後再建せられた。寺内に觀音堂あり、慈覺大師の作と稱する如意輪觀音像を安置する。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による金嶺寺の縁起
東叡山末 谷中西寺町
倍増山宝城院金嶺寺、境内拝領地1200坪。
慶長16年2月15日、神田北寺町ニ而拝領仕候。其後慶安元年、従神田北寺町為御代地11月21日当所ニ而拝領仕候。
中興開山亮祐法印元文2年6月25日寂。
本堂、間口4間奥行3間。本尊阿弥陀如来木像、立像3尺2寸恵心僧都作。
金山権現社、土蔵作2間ニ2間半。拝殿2間四方。金山権現神体、長1尺1寸。
不動堂、土蔵作2間ニ2間半。不動尊像、長7尺余2童子付慈覚大師作。
如意輪観音堂、1間四方。如意輪観音像、長1尺余慈覚大師作。
稲荷社、間口4尺奥行1間。
石額、公真親王筆。
法華塔、高サ9尺余。以上丙戌書上。
開山ハ天海僧正にして寛永17年の起立といふ。江戸鍛冶の司某の開基なり。関東一社金山大権現社慈眼大師勧請。改撰江戸志。(御府内寺社備考より)
金嶺寺所蔵の文化財
- 下谷地区板碑群
下谷地区板碑群(平成16年3月追加登載)
下谷地区に現存する板碑13基は、すでに「下谷地区板碑群」として平成2年度に区民文化財台帳に登載されています。今回、新たに確認された板碑5基が追加登載されました。
板碑は中世に造立された石製の卒塔婆です。死者の追善供養、あるいは逆修供養のために立てられました。関東地方の板碑は、秩父で産出する緑泥片岩という青みがかった石を素材とすることが特徴で、特に「武蔵型板碑」と呼ばれています。中央には主尊が種子や題目・名号、あるいは仏の図像が刻まれ、その下に紀年銘や人名が刻まれています。
金嶺寺に所在する板碑には至徳・応安・明応の年号がみえ、南北朝時代から戦国時代にかけて造立されたものです。主尊は阿弥陀如来を表す種子が多い中で、金剛界大日如来や題目が見られるなど、バリエーションに富んでいます。とくに題目板碑は、区内ではじめて確認されました。
谷中地域は古くから人々の生活が営まれてきた場所ですが、近世以降の開発で中世の痕跡はほとんどみられません。その中で、板碑はその土地に根付いた民衆信仰の一端を知る上で貴重な資料です。(台東区教育委員会)
金嶺寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」