正行院|台東区谷中にある日蓮宗寺院
正行院の概要
日蓮宗寺院の正行院は、慈雲山と号します。正行院は、正覚日順(寛永20年1643年寂)が開基となり創建したといいます。
山号 | 慈雲山 |
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院号 | 正行院 |
寺号 | - |
住所 | 台東区谷中4-1-6 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正行院の縁起
正行院は、正覚院日順(寛永20年1643年寂)が開基となり創建したといいます。
「下谷區史」による正行院の縁起
正行院(谷中上三崎南町六四番地)
瑞輪寺末、本尊十界曼荼羅。起立年月は未詳だが、開基正覺院日順は寛永二十年六月二十八日寂した。故にこれ亦情延院と同様のことがいへるであらう。(神田時代の創立であることは察せられる。)(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による正行院の縁起
正行坊。
開基正覚日順、寛永20年6月28日寂。
本尊間口7間奥行5間、本尊如本院。(御府内寺社備考瑞林寺(瑞輪寺)項より)
正行院所蔵の文化財
- 河鍋暁斎墓(台東区登載文化財)
河鍋暁斎墓
河鍋暁斎は、幕末から明治時代前半にかけて活躍し、当時一世を風靡した画家です。
天保2年(1831)、下総国古河(現茨城県古河市)で生まれました。はじめ浮世絵の歌川国芳の門下に入り、のち狩野派に入門し、嘉永2年(1849)修業を終え、「洞郁陳之」と号しました。安政5年(1858)頃には皮肉や風刺、滑稽味を持つ「狂画」を描きはじめ、「狂斎」とも名乗るようになりました。しかし、明治3年不忍池の料亭で描いた絵が原因で逮捕され、このときより「狂」を「暁」に変え、号を「暁斎」と改めました。
晩年は、根岸(現、荒川区東日暮里)に住み、区内の寺院や料亭に数点作品が残っており、郷土の画家としても大いに評価すべき人物です。明治22年に没し、瑞輪寺塔中正行院に葬られました。
本墓は、自然石を重ねており、一番上の石は蛙をかたどったもので、蛙を殊のほか愛した暁斎らしい墓石といえます。
正行院の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」