総持院|台東区谷中にある天台宗寺院

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広隆山総持院|岡崎信康・織田信長娘の二童子を護摩堂に祀る

総持院の概要

天台宗寺院の総持院は、広隆山元導寺と号します。総持院は、栄松法印が慶長16年(1611)神田寺町に創建、慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。江戸期には、大久保加賀守から預けられた泰源院殿覚法(徳川家康の長子岡崎信康)、了台院殿妙正心安大姉(織田信長の娘)の二童子を護摩堂に祀り、大久保家の代参を受けていたといいます。

総持院
総持院の概要
山号 広隆山
院号 総持院
寺号 元導寺
住所 台東区谷中6-2-33
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



総持院の縁起

総持院は、栄松法印が慶長16年(1611)神田寺町に創建、慶安元年 (1648)当地へ移転したといいます。江戸期には、大久保加賀守から預けられた泰源院殿覚法(徳川家康の長子岡崎信康、織田信長の命により切腹)、了台院殿妙正心安大姉(織田信長の娘)の二童子を護摩堂に祀り、大久保家の代参を受けていたといいます。

「下谷區史」による総持院の縁起

總持院(谷中町三八番地)
淺草東光院末、廣隆山最勝寺と號す。本尊阿彌陀如来。當寺は慶長十六年二月十五日、幕府より神田北寺町に寺地四百坪を給うて創建した。開山は僧榮松、寛永十六年三月十四日寂。後、幕府の用地となり、慶安元年十一月現所に替地を給せられて移轉した。寛文十年四月十九日、相模小田原城主大久保忠朝、徳川家康の室築山殿關口氏のために了臺院殿妙正心安大姉、子岡崎三郎信康のために泰源院殿覺法一道大徳の新法號を當山に請ひ、新にその靈牌を安置してその冥福を祈り、尋ねで元禄十五年十二月三日、摩利支天像、如意輪觀音像各一軀を納め、爾後毎年正、五、九月の十六日から二十二日まで十七日の間祈禱を執行せしめるのを例とした。
境内の護摩堂に安置する不動明王坐像はかの大山不動と同木を以て良辨僧都の作るところと傳へられてゐる。(「下谷區史」より)

御府内寺社備考による総持院の縁起

浅草新堀東光院末 谷中不唱小名
広隆山最勝寺惣持院、境内拝領地400内門前町家85坪
慶長16年辛亥2月15日、神田寺町之地二寺地拝領仕候。然処慶安元甲子年当地江替地被仰付候。
開山栄松法印。寛永16年3月14日寂。
本堂。 本尊阿弥陀如来。
護摩堂、間口9尺奥行2間、拝殿間口9尺奥行7尺。不動尊木像座像長2尺5寸良弁僧都作。
附二童子立像。
泰源院殿覚法一道大徳。天正7己卯年9月15日逝去。俗名岡崎三郎信康様。
了台院殿妙正心安大姉。天正7己卯年8月29日逝去。俗名築山様。
右両尊牌葵御紋付入厨子外二挑灯同御紋付被添之。元禄15壬午年、大久保加賀守殿有故当院御安置有之。毎年正月朔日、8月・9月両御命日従大久保家為代参両尊牌拝礼有之。両尊牌御安置并事跡来由記之文左之通。(中略)
稲荷社、間口6尺奥行7尺。
以上丙戌書上(御府内寺社備考より)


総持院の周辺図


参考資料

  • 御府内寺社備考
  • 「下谷區史」