楞伽山天眼寺|奥平松平家の菩提寺
天眼寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の天眼寺は、楞伽山と号します。天眼寺は、牛込少林庵を譲り受けた紫衣号越叟が、当地移転の際に天眼寺と改号、延宝6年(1678)に創建したといいます。松平下総守殿二代目忠弘の奥方天眼寺殿慈光性輪尼大姉が当寺開基となり、以後奥平松平家の菩提寺となったといいます。
山号 | 楞伽山 |
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院号 | - |
寺号 | 天眼寺 |
住所 | 台東区谷中1-2-14 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
天眼寺の縁起
天眼寺は、牛込少林庵を譲り受けた紫衣号越叟が、当地移転の際に天眼寺と改号、延宝6年(1678)に創建したといいます。松平下総守殿二代目忠弘の奥方天眼寺殿慈光性輪尼大姉が当寺開基となり、以後奥平松平家の菩提寺となったといいます。
「下谷區史」による天眼寺の縁起
天眼寺(谷中坂町二五番地)
京都妙心寺末、楞伽山と號す。本尊釋迦牟尼佛。武蔵忍城主松平忠敬、僧甫格に歸依し延寶六年牛込少林庵の古跡を求め、之を現地に移轉建立し、元禄元年現寺號に改めた。
寺内に松平忠明、大宰春臺がある。後者は大正十三年五月二十一日東京府知事より史蹟に假指定せられた。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による天眼寺の縁起
京都花園妙心寺末 谷中不唱小名
楞伽山天眼寺。境内古跡年貢地上野中堂領768坪持添年貢地上野中堂領526坪5合持添感應寺(現天王寺)町地年貢地14坪
起立延宝6年。牛込ニ少林庵与申庵譲受ケ其後当所谷中善光寺坂へ引移天眼寺与改申候。持添上野中堂領之儀は元禄15年3月、松平日向守殿江奉願候処、同年4月18日永井伊賀守殿御寄合御列座ニ而被仰付候。且又持添感應寺(現天王寺)町地年貢地西之方ニ而境内地続宝暦元年、奉願囲込為火除植木溜ニ而所持仕候。
開山紫衣号越叟諱甫格、野州足利ノ産。正徳2年7月26日遷化。
中興黒衣号心谷諱祖信、肥前松浦之産。天明5年4月2日遷化。
開基法号天眼寺殿慈光性輪尼大姉、松平下総守殿二代目忠弘ノ室。実家は細川越中守殿忠利ノ女。元禄11年6月23日卒去。
客殿間口10間半奥行6間半。本尊釈迦如来。
撞鐘堂。鐘、右建立安永8年12月。
楞伽湯山容字、筆者呉超程赤城表門ニ有之。
鎮守社、稲荷木像。
以上丙戌書上。
少林庵ハ旧くよりの庵地なりしを越叟其庵号を引、当所へ起立して一寺となし天眼寺と号せしなり。少林庵の開基等すへて伝を失ふ。又牛込の旧地今詳ならず。(御府内寺社備考より)
天眼寺所蔵の文化財
- 太宰春台墓(東京都指定文化財)
太宰春台墓
太宰春台は名を純といい、字を徳夫と称していた。信州飯田に生まれ、江戸に出て出石侯に仕えた。荻生徂徠に復古学を学び、沼田侯に優遇されたという。古文孝経を研究校訂して音註を作り、諸藩にわかち、また「論語古訓」および「外伝」など数十巻を著した。
延享4年(1747)5月晦日、年68で歿した。
墓は円頭角柱形の桿石に隷書で、「春台太宰先生之墓」と題し、三面に銘文を刻する。高さ132cm。(東京都教育委員会掲示より)
天眼寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」