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七曲井。狭山市北入曽にある名所旧跡

七曲井の概要

七曲井は、狭山市北入曽にある名所旧跡です。七曲井は、竪堀り井戸を掘る技術が確立していなかった頃に造成された井戸で、平安中期に開拓と交通の便を図るため武蔵国府によって造成されたのではないかといいます。七曲井は、上部で階段状をなし、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっていることから、地元の人から「七曲井」と呼ばれ、少なくとも江戸時代中期まで利用されていたといいます。

七曲井
七曲井の概要
名称 七曲井
住所 狭山市北入曽1366
見どころ 中世井戸
文化財 県指定史跡指定
備考 入曽観音堂隣接



七曲井の由来

七曲井は、竪堀り(たてぼり)井戸を掘る技術が確立していなかった頃に造成された井戸で、平安中期に開拓と交通の便を図るため武蔵国府によって造成されたのではないかといいます。七曲井は、上部で階段状をなし、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっていることから、地元の人から「七曲井」と呼ばれ、少なくとも江戸時代中期まで利用されていたといいます。

新編武蔵風土記稿による北入曽七曲井について

(北入曽村附新田)観音堂
坐身の正観音を安置す、常泉寺持、この堂の後に土人七曲井と云廣き穴あり、その形螺の如にして、次第に巡り下りて水際に至る、相傳へて上古の堀金井の跡なりといへど、是は既に南入曽村にも辨ぜし如く、堀金村の井をもて實跡となすべきか、七曲井の餘比丘尼井など云古井の跡村内に三所ありて、何れをも堀金井の舊跡なりと唱へり。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県教育委員会・狭山市教育委員会掲示による北入曽七曲井について

この七曲井は、周囲七十m餘、直径二十六m、深さ十一・五mという大規模な漏斗状(ろうとじょう)井戸です。
竪堀り(たてぼり)井戸を掘る技術が確立される近世までは、この井戸のように漏斗状に地下水まで掘り下げたと考えられます。井戸に降りる道は上部で階段状をなし、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっており、この道の形状が名前の由来となっているといわれています。井筒部は人頭大の石で周囲を囲った中に松材で井桁が組んでありました。井戸所在地の小字名「堀難井」、読みは「ほりかねい」、あるいは「ほりがたい」から、古来この地方に住む人々にとって飲料水を得ることが困難であったことがわかります。
井戸が掘られた時代については、建仁二年(一二〇二)との説がありますが、確かではありません。ただ、府中から入間川に至る奈良・平安時代の古道沿いにあるため、平安中期に開拓と交通の便を図るため武蔵国府(現在の役所)の手により掘られたと考えられています。
七曲井は、何度か改修が行われ、地域の人々の貴重な水源として活用されていましたが、宝暦九年(一七五九)の改修を最後に歴史から姿を消します。その後、土砂やゴミの堆積によって埋もれてしまいました。昭和四十五年に埼玉県教育委員会と狭山市教育委員会によって発掘、復元され、地元の人々の努力により大切に保存されてきましたが、近年になって壁の一部に崩落の危険性があることが明らかになりました。そのため、平成十七・十八年に崩落防止工事を実施しました。この工事により、現在見える姿は往時とは異なるものとなってしまいましたが、井戸本体は半永久的に保存可能となったのです。(埼玉県教育委員会・狭山市教育委員会掲示より)

七曲井の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿